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2008年8月

2008年8月27日 (水)

良い犬?悪い犬?

さて、今回もまた、私「ゴル男」が担当させていただく。

題して「良い犬?悪い犬?」である。

まあ、実際にはどんなことを基準に「犬の良し悪し」を決めるのかは我々にはさっぱり分からない。

例えば「ショードッグのチャンピョン犬」」とか「訓練競技会で優秀な成績を得た犬」なら分かるのだが、ただ良い犬と言われても想像がつかないのだ。

特に我々「家庭犬」と言われる仲間に至っては、基準など無いに等しい。

当然に「本」では「人間社会のルールを理解していること」などと書かれているようだが、これとて怪しいものだ。

間違いなく飼い主さんによって我々に伝えるルールが異なっている。

ドッグランとかでも他の仔を組み伏せる姿を見るのが好き、などという飼い主がいると聞いたことさえある。

私自身、もちろんそんな恐ろしい場所に行きたくもないが、そんな「家庭犬」に「力」を求める人もいる場所とは一体どんな所なのだろうか。

通常、我々は「飼い主さんの家」に迎えられる前、生まれて2ヶ月3ヶ月の間に「犬の社会化」をする。

つまり、犬としての知識を母犬や兄弟犬との生活の中で学ぶのである。

ここで「犬同士の遊び方」や「抑制された噛み付き」を覚える「筈」である。

我々「イエイヌ」には「平和主義者」が多い。

基本的に争いは好まないのだ。

争いを避けるための警告として唸ったりするし、犬同士の上下関係を見極められれば服従もする。

遊びの中で「喧嘩ごっこ」もするし、「噛みあったり」もするが、これとても抑制された行動であり、決して「本気」ではない。

「本気」ではないのだが、「怪我」をすることもあるし、「本気」になってしまうこともある。

特に「犬の社会化」が不十分だったりすると、どうやって遊ぶのかとか噛んでも良い程度が分からなかったりして、「本気」になってしまう場合もある。

これまで我が飼い主♂が繰り返し書いてきた通りである。

残念ながら、我が仲間のフレンチ・ブルドッグには社会化が不十分な仔がいる。

目線を合わせたまま外さないとかの仔も多く、結果的に「挑戦的な態度」と見なされ「闘争」につながることも多い。

ただし、このような仔でも決して「気が強くて支配的な性格」とは言えない。

犬同士の挨拶の仕方とかマナーを「知らないこと」が多いのだ。

そしてそれを繰り返してしまうことによって「攻撃的な仔」というイメージが定着してしまう。

でも、このこと一つを取り上げて「悪い仔」とは言えないと思う。

たとえ、犬付合いが下手でも、皆、家庭では「良い仔」なのである。

これは私の全く想像であり、科学的な根拠など全くないのだが、もしも飼い主さんが愛犬に常に自分と長い時間のアイコンタクトを求めていたとしよう。

そしてそれに応えて「目線を外さないこと」を「良し」と教えられ、育てられていた場合、愛犬がこれを犬社会に持ち込んで、他の犬にも同じようにしていたら・・・

恐らくそんなことはないと思うが、可能性が全くないとは言えないと思うのだがどうだろうか?

こう考えて来ると、本当に「良い家庭犬」とは一体どんな仔を言うのだろうか?

私は「飼い主さんの考え方次第」だと思っている。

飼い主さんが「良い家庭犬」だと思えば、「良い家庭犬」なのである。

そしてその飼い主さんが人としての社会性をしっかりと身につけている方ならば、多分、愛犬は世間でも「良い家庭犬」と言われると思う。

何も出来なくとも「良い家庭犬」はいるし、素晴らしい「芸」が出来ても「問題のある家庭犬」もいる。

やっぱり、飼い主さん次第になるのだろう。

稀に「犬とも人とも社会化が不可能」に近い、という仔もいるようであるが、私自身はそのような仔に出会ったことなどない。

そのような特殊なケースを除けば、全ての仔が「良い家庭犬」になれると思う。

程度の差はあると思うが、飼い主さんの一貫して継続した努力は必ず報われると思って間違いないだろう。

皆さんの愛犬は「良い家庭犬」と呼ばれているのだろうか?

我が家の場合、αは常に私に優しいし、私を「良い仔」と思ってくれている。

このことには「自信がある」

ただ、我が飼い主♂の場合、奴に問題があるのでどうなのだろうか・・・

私を正しく評価しているのか疑問である。

まあ、これからも私「ゴル男」が奴を教育するしかないのだろう・・・

一貫性とたゆまぬ努力が必要になると思うが頑張るつもりである。

なんせ、我が飼い主♂は「犬とも人とも社会化」が成功していないのだから!

私は、皆さんの愛犬が私と同じような想いを抱いていないことを祈る。

さて、今回は、これで終わります。

次回、機会があれば、また、何かお役に立てるようなことを書くつもりなのでよろしく!

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

2008年8月22日 (金)

目は口ほどにものを言う!

さて、今回もまた、私「ゴル男」が担当させていただく。

題して「目は口ほどにものを言う」である。

またまた前回の「言葉を理解する犬」の話であるが、実は、そんなに多くの「言葉」を理解出来る仔でも飼い主の姿が見えない場合には、正確に理解することが出来なかった場合もあったそうである。

ただし、これは「複数の要素」を含んだ場合に限定されたそうだ。

例えば「椅子に近づいて、乗りなさい」といった場合である。

この際、飼い主が意図的に「机」を見ながら、同じことを言うと、椅子ではなく、机の上に乗ったそうである。

つまり、飼い主の「視線」が正しい行動を決定付ける大きな要素になっていたのだ。

そうは言っても、我々「犬」が相当数の「言葉」を理解出来ることに変わりはない。

人との暮らしの中で、飼い主からの「言葉」とその「視線」から多くのことが出来る、ということは素晴らしい能力と賞賛されて良いと思う。

実際、それほど多くの「言葉」が理解出来なくとも、普通、家族として一緒に暮らしていれば、家族の呼び名とか日常生活で多く使われる言葉は直ぐに理解出来るようになる。

それは、飼い主が我々「犬」に「教えること」を全く意識していなくても、日常生活の中でかなりの頻度で「使っている」からである。

我が家の場合、私を除けば飼い主夫婦以外に人はいないので、あまり多くはないのだが、我が飼い主♂はαのことを「お母さん」と呼び、αは奴のことを「お父さん」と呼ぶ。

そして呼び掛けた側の視線の先には必ず「相手」がいる。

このことから私は「人の社会」では序列第1位の存在を「お母さん」と言い、第二位の存在を「お父さん」と言うのだということを学んだ。

若干の誤解はあるかも知れないが、ほぼ正しい解釈であろう。

また、お互いの呼び掛けの際に「ねえ」とか「ちょっと」とか言う場合もあるが、この場合、その「言葉」には特段の意味はないようである。

多くの「犬」が飼い主の注意を自分に向けたいときに「ワン」と一声吠えるのと変わらないと思う。

その「呼びかけ」に続いて必ず「行動や物」を表す「言葉」が続く。

その中で私にも影響のある「言葉」は何となく分かるようになってきた。

私の場合、特に食べ物を表す言葉には敏感である。

また、先ほど書いたように、我が家の場合、我が飼い主♂とαは常に近くにいるので、お互いを呼び合ってから「会話」が始まることは少ない。

「視線」を合わせた所から「会話」が始まる。

つい先日も夕食時にこんなことがあった。

α「私の言うこと全然聞いてないでしょ!大体、私のことを全然見ていないじゃない」

♂「ちゃんと聞いてますよ」

α「じゃあ、新聞読むの止めてよ!新聞がないとご飯が食べれないの?」

♂「そんなことありませんよ。分かりました。」

α「本当にお父さんって嫌だね!ねえ、ゴル」

どうやら、人間同士の会話も「視線を合わせる」=「アイコンタクト」が重要なようである。

視線を合わせない「返事」は「正しい返事」としては認められないようだ。

我が飼い主♂は自分からの私に対する呼び掛けには必ず私からのアイコンタクトを求める。

それにも関わらずαからの呼び掛けに対してアイコンタクトをもって応えることが少ない。

αに家から追放される前にもっと自分の日常生活を反省してもらいたい。

話を戻そう。

さらに注意深く観察すると、この「アイコンタクト」はずっと見詰め合うことを必要としてはいないようだ。

言わば先方の呼び掛けに対する「返事」=「了解」という合図として、お互いの視線を合わせている。

さらに「人の社会」で「視線を合わせ続けること」は少なく、仮に視線を合わせ続ける場合の意味も概ね二つに分かれ「愛情・友情」か「敵対心」といった特殊な感情を表現しているようだ。

分かり易く表現するならば「愛する二人が見詰め合う」か「敵対する二人が睨みあう」かである。

そんなケースを除けば「人」もお互いが視線を合わせ続けることはない。

見知らぬ人を見続けた場合、その結果、不利益を被ることはあっても、何の利益も生じないようだ。

普通「愛する二人」=「異性同士」に限られる。

つまり、友人同士を除けば、同性同士が視線を合わせ続ける場合、お互いの「敵対心」を表現していると解釈するのが妥当かつ安全と言える。

その辺の解釈を飼い主さんが我々の行動にも広げてくれれば、無益な争いを避けることは十分に可能である。

つまり同性の犬同士がお互いを見詰め合うことにあまり良い結果は望めないと解釈すべきなのだが、これすら理解していない飼い主さんも多い。

安全第一を目指すならば、是非、覚えておいて欲しい。

もちろん、何も起きないこともあるし、一緒に楽しく遊び始めることだってある。

しかし、この辺の愛犬の感情の違いを飼い主さんが理解出来ないことが多い。

だから、無意味な争いが起きてしまうのだし、実際、私も散歩途中で嫌な経験をかなりしている。

さて、ここで、我々「犬」と飼い主さん「人」との関係に話を戻そう。

飼い主さんの中には愛犬に対して必死に「アイコンタクト」を求め続ける方がいる。

そして愛犬が顔を背けると「叱る」などという方までいるようだ。

全くその場の愛犬の気持ちを理解出来ていないのだ。

我々「犬」は基本的に平和主義者である。

相手を見続けることで「挑戦的」と受け取られることを恐れるのである。

だから、視線をそらすのである。

何故、これを理解してくれないのだろうか。

我が飼い主♂も私を見続けることがある、とう言うよりも「睨み続ける」のだが・・・。

この場合、奴は私を本気で叱っていて、私が視線をそらすことを許さない。

つまり、この場合奴は私に「罰」を与えているのだ。

だから、私は日常生活の中で奴の呼び掛けに対する返事としての「アイコンタクト」は求められるが、見続けることを求められることはない。

唯一あるのが、「会話」をしている時である。

でも、これは私の自由であり、強制されることはない。

私が「もう、いっか」と思えば、自分のやりたいことを始めても何の罰も受けない。

奴の訳の分からない無駄話に付き合うのもおもちゃで遊び始めるのも全て私の気分次第である。

だから、我が家の生活は楽しい。

最後にもう一つ、我々「犬」がするかなり意味のあることを書こう。

それは「ちら見」である。

私は何かをしようとするとき、必ず、我が飼い主♂の方をちらっと見る。

散歩の途中でも、必ず奴の事をちらっと見る。

見るといっても、ほんの一瞬のことであり、見続けることはしない。

奴のアイコンタクトを求めている訳でもない。

何故だと思われるか?

これは私と奴との関係を表す上で非常に重要な意味を持つ。

我が飼い主♂は、これがなければ、飼い主さんとの「絆」など無いに等しい位に思っているようだ。

ことの真偽は別にして、奴がそれほど重要なことと思っていることなので、敢えてここで理由を書くのはよそう。

多くの飼い主さんが「そうだ、そうだ」と思っていただけると嬉しいのだが、どうだろうか・・・

さて、今回はこの辺で終わりにする。

次回もまた、何かお役に立ちそうなことを書きたいと思っているのでよろしくお願いしたい。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

2008年8月21日 (木)

言葉の使い方

皆さん、今回も私、ゴル男が担当させていただくのでよろしく。

さて、今回のテーマは前回の続きなのだが、犬とのコミュニケーションの中で重要な要素となる「言葉の使い方」について書きたいと思う。

最初に、前回400を超える言葉を理解出来る犬がいたという話を書いたのだが、その話の続きから始めることにしよう。

この犬の場合、飼い主の声の抑揚・大小といった声の出し方に関係なく正確に反応したそうである。

そして、何かの動作を止める際に「もういいよ」「止めなさい」「十分だよ」といった日常会話の中で人が使う言葉でも正確に反応したそうである。

よく犬の訓練やトレーニングの本には「犬の動きを抑えるコマンドは低い声で、動きを促すコマンドは高い声で出す」と書いてあり、鳥とか他の動物の世界でも共通した「声の出し方」だそうである。

前回、「コマンド」を実行することと「言葉を理解する」ことは違うと書いたが、この犬の場合、今、書いた2点のことからも言葉を理解出来ていたことが証明されたのである。

ちなみに私の経験からすると、愛犬に「言葉を教える」という飼い主さんは、非常に少ない。

ほとんどの飼い主さんは、「声の出し方」で愛犬に何かを伝えようとしている。

実際、我が飼い主♂も外では「ゴル」という一言で私に色々なことを伝えようとする。

声の高低、大小別に少し書き出してみることにしよう。

例えば、私を見ながら低い声で「ゴル!」と小さな声で静かに言う場合。

この場合の意味は、我々「犬」の世界での「ウー」という警告の唸り声と同義のようで、多分私に対して「いい加減にしろよ!」といったことを伝えたいのであろう。

この段階で奴の指示に従えば、何も起きない。

そしてこの低い声の「ゴル!」が大声で発せられた場合。

かなりの大声となった場合だと、既に警告を超えており、我々犬の世界で言えば、毛を逆立て重心を前方に移動し、今にも飛び掛らんばかりの状況となっていることを伝えているようだ。

どうも奴の場合、声の大小が「怒り」の大きさに比例しているようだ。

この場合、奴と私との距離と声の大小は無関係である。

単純に私に対する奴の「怒り」の強さ、奴の興奮度合いを表しているに過ぎない。

これまで、奴の気分によって多大なる迷惑をこうむって来た私は、奴の精神状態の変化に非常に敏感である。

結果、そんな時私は、速やかに奴に対して「なだめの行動」をとる。

まあ、なだめの行動と言っても奴に駆け寄り「口元を一舐め」すれば済むのであるが、少なくともその時行っていたことは一時中断せざるを得ない。

奴の場合、私に対して「何故いけないのか」「何故怒っているのか」を教えることよりも単に怒りを爆発させることの方が多い。

本当に困った♂である。

まあ、奴にすれば、ドッグランは「教える場」ではないということなのだろう。

私も身に覚えは十分あるし、好き勝手にやりたい事をやっているので、奴との関係ではお互い様といったところだろうか。

でも、いつも来場者に「あまりワンコを叱らないで下さい」と言っていることからすれば、理不尽な話ではあると思う。

次に普段の会話と同じ音程で「ゴル」と言う場合を説明しよう。

「ゴルー」と語尾が延びた場合、奴は私の存在を確認しようとしているようだ。

つまり、奴に私が見えていないということである。

日常生活の中では、たまに私がどの部屋にいるのか分からないときに使われることもあるが、実際には、ドッグランで奴が私を見失ったときに使われることが多い。

「愛犬の姿を見失う」など、本当に保護責任のある飼い主としてあるまじき行為であり、深く反省してもらいたい!

話を戻そう。

この場合、私が軽く首を上げ、奴から私の姿が確認出来るようにすれば良い。

奴がそれ以上のことを私に求めることはない。

次に「ゴルッ」と軽く、全く通常の会話と同じように発せられた場合だが、これは私と奴の距離が近い場合に限定される。

奴は、次に何かを伝えるために私に「アイコンタクト」を求めているようだ。

その証拠に私が奴に視線を向けると何かの行動を促す言葉が発せられる。

発せられる言葉に決まったパターンはない。

そして、この「ゴル」が高音となり、更に語尾も伸びて「ゴル~」となり、奴との距離に応じて声も大きくなって発せられる場合は、確実に次に「おいで」とか「来い」とかの言葉が発せられる。

まあ、たまに「手招き」なんてこともあるが、要するに私を呼んでいるのである。

最後に奴には全く似つかわしくない声の出し方、つまり、猫なで声で「ゴル」という場合である。

多くの場合、言葉の表現方法とは裏腹に「ワナ」が仕掛けられている。

続けて「ゴル男ちゃん、おいで」などと発せられる場合には、間違いなく「ワナ」が待ち受けているので、私の警戒心は高まる。

奴の呼び掛けに応じて2m程度までは近づくものの、決して奴に捕獲されないように警戒しなければならない。

確実に甘い言葉には必ず落とし穴が隠されているのである。

色々と書いてきたが、私はこのような言葉の使い方は「コマンド」に過ぎないと思っている。

「ゴル」という単語を声の高低、強弱、大小で使い分けているだけなのだから、そんな時の私と奴の間に「会話」など存在しない。

決して正常なコミュニケーションは取られていない。

だから、私はドッグランに居るときは「いつも、ほったらかしにされている」と言うのだ。

確実に保護者としての責任を放棄している。

もっと、「私」と「私との時間」を大切にしろ!と言いたい。

少し長くなったが、ここまで、外に居るとき我が飼い主♂が「ゴル」という一つの言葉を様々な意味で使うことが多いということを書いてみた。

そして、このような「言葉」の使い方は多くのご家庭で使われていることが多いと思うが、実際皆さんのご家庭ではどうだろうか?

「声の出し方」のみに頼りすぎることはないだろうか?

だが、一応奴の名誉の為に書いておくが、このような「言葉」の使い方は「奴と外に居るとき」に限定されている。

理由は簡単、家に居るときには、私とαや我が飼い主♂が離れていることは少ないのだ。

私に呼び掛ける際に「ゴル」と言うことはあるが、その言葉自体に意味を持たせることはない。

呼び掛けの後に、必ず、会話が始まる。

「ゴル、何か喰うか?」

「ゴル、寝るぞ」

中には「ゴル、お前、毎日楽しいか?」などと訳の分からないことまで口にする。

奴の気分は伝わってくることが多いのだが、実際の意味となるとほとんど分かることはない。

でも、奴が私と一緒に居てくつろいでいることや気分が良いことは分かる。

前回と今回で「言葉」について書いてきたが、改めてこう考えてみると我が家では、遊びを通じて正確に「言葉」を教えてくれるαと意味は分からないが気持ちを伝えてくれる我が飼い主♂がいることになる。

この状態が良いのか悪いのか私にはよく分からないが、結構、毎日を楽しく暮らしているので、多分これで良いのだろう。

我が飼い主達も私の気持ちを理解してくれているし、今では叱られることも全くと言って良いほどない。

我が飼い主♂は粗野な人物であるが、我が身に危害を加えるようなこともないので、このまま生涯暮らそうと思っている。

私は、庶民の家庭で暮らすことになってしまった我が身を嘆くことより、現状に自分に合わせることを選んだのだ。

我々「イエイヌ」にとって環境に慣れるということは、何よりも大切な「能力」なのである。

皆さんは自分の愛犬がどう考えていると思われているのだろうか?

現在の家庭に満足しているのだろうか?

飼い主として、自信はおありだろうか?

また、今回も意味深な書き方で終わらせていただく。

次回は、「目は口ほどにものを言う」と題して書かせていただくことにする。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

2008年8月20日 (水)

犬との会話

皆さん、今回も前回に引き続き、私、ゴル男が担当させていただくのでよろしく。

さて、テーマは「犬との会話」についてである。

私達「犬」と「人」のコミュニケーションといっても、取り方については、我々「犬」と「人」では随分と感覚的なズレがあるように思う。

とにかくお互いに共通の言語を有している訳ではないのだから、意思の疎通を図ることは決してたやすいことではない。

ただ、決して「たやすいこと」ではないと思うが、決して「不可能なこと」でもないと思う。

今回は、そのことを書いてみたいと思う。

先ずは、一番一般的なコミュニケーションの取り方である「言葉」について書くことにしよう。

実際、私達「犬」はきちんと教えてさえくれれば、かなりの数の「言葉」を理解することが出来るようになる。

ここでいう「理解する」とは単に日常的な習慣とか条件付けで反応することを指しているのではなく、「人」との会話の中で「犬」がその意味を理解することが出来るという意味である。

例を挙げると、あるジャーマン・シェパードは400を超える言葉の意味を正確に理解し、複数のものの中から、指定されたものを持ってくることを隣室に居る「人の声」だけで正確に行うことが出来たという。

ただし、ここで忘れて欲しくないのは、決してそのジャーマン・シェパードが人間同士の会話を立ち聞きすることで自然に言葉を理解するようになったのではなく、人から教えられた結果として、言葉の意味を理解するようになったということである。

飼い主さんから話し掛けられ、教えられてこそ言葉は「身につくもの」なのである。

人間社会においても、赤ちゃんに言葉を教える場合には、ゆっくりと分かり易く、簡単な単語を何度も何度も繰り返し教えると思う。

決して「夫婦の会話」を聞かせて、赤ちゃんに言葉を教えようなどと考える親はいないだろう。

「パパ」「ママ」といった分かり易く、また、日常的に多く使う「単語」から始めて、会話へと進むものだと思う。

決して赤ちゃんに「環境問題」をテーマに語り掛けることはしないだろう。

我々「犬」に「言葉」を教えようとする場合には、是非、時間を掛けて易しいことから教えて欲しい。

それから「待て」「来い」「座れ」「伏せ」といった訓練やトレーニングの過程で教えられることは、単に「指示」に従う中で動作とともに覚えていることもあるので、純粋な意味での「言葉」を理解したとは言えない場合もあると思う。

飼い主の前に行ったら「座る」、食餌の前には飼い主の指示「待つ」などは「言葉」が発せられる前に動作が付いて来るので、「理解している」とは言い難いと思うがどうであろうか。

さて、皆さんの家庭ではどうだろうか?

愛犬に語りかけているのだろうか?

実際、我が家の場合、αはかなり私に話し掛けてくれる。

αが「ゴル男、新しいおもちゃ!」と言えば、私は新しいおもちゃの保管箱の前に行き、きちんと座り、心優しいαが私に新しいおもちゃを取り出してくれるの待つ。

「○○食べる?」と言われれば、αよりも先に台所に行き、冷蔵庫の前に座ってαの到着を待つ。

つまり、αの呼び掛けは「言葉」にしろ、「合図」にしろ、常に私にとって非常に嬉しい結果が待っているのである。

自然と私はαに注目することが多くなるし、おのずとαの発する「言葉の意味」も理解出来るようになる。

とにかく、家の中での私とαの会話からは、私にとって「良いこと」しか生まれない。

結果、αからの呼び掛けはいつも私に心地よい響きとなって伝わる。

散歩でもそうである。

夕方の我が家の散歩は、αか奴と私で行く。

つまり、マンツーマンの散歩となる。

いつもαは「ゴル男、お散歩だよ!」と必ず明るい声で呼び掛けてくれるし、「お散歩だよ!楽しいなあ~」なんて言葉も言ってくれるので、私自身のテンションも上がり「行くぞ!」って気持ちにもなる。

ところが、我が飼い主♂が相手だとこうはいかない。

奴は、いつも「行くぞ!」とだけ私に声を掛け、先に玄関に行ってリードを持って、私を待っているのである。

そして私が躊躇していると「ゴル!早く来いよ!」と若干キレ気味に呼ぶだけなのである。

ほとんどがこんな調子で「ゴル男」に続く言葉は、大体が「文句」である。

本当に我が飼い主♂との会話からは、私にとって喜ばしい結果を得ることは少ない、というよりもほとんどない。

だから、ドッグランでは私は奴の声は聞こえない振りをすることにしている。

これには正当な理由があって、ドッグランでは奴が私に注目することなどほとんどない。

奴の気が向いた時にだけ、私の名前を呼ぶ。

そして次に続く言葉は「文句」である。

親としての責任も果たしていないくせに、文句だけは言うのである。

なんと理不尽な話だろう!

だから私も、よく「しつけ本」に書いてあるように「無視」をすることによって、奴の身勝手な行動を正そうと思っているのだが、どうも奴には学習能力がないらしく、一向に改善が見られない。

どうも「無視」することから良い結果が生まれることはないらしい。

本当に困ったものである。

それでも、そんな奴を相手にしてでも、ドッグラン以外では、私は奴の言葉に「神経を集中する」。

奴が私に伝えようとしていることを必死になって理解しようと努力している。

それが私にとって好都合な事なのか、不都合な事なのかに関係なく奴の言葉に注目するのである。

理由は簡単!

だから、書かない。

これまでに奴が繰り返し書いてきた通りである。

だから、私は奴の発する言葉のいくつかは完璧に理解している。

「止めろ!」=これは私が他の仔に攻撃された時に反撃を制するとき奴が発する言葉であり、私は絶対に反撃をしない。そして奴の所に行く。この言葉は「絶対」なのである。

奴に呼ばれたときの私の行動パターンは複数ある。

「おいで!」=気が向いたら奴の元に行く。基本的に私の自由である。

「来いよ!」=奴の元に行った方がいいかも知れないが、大体の場合、行っても良いことはないから、多くの場合、私は聞こえないふりをする。

「ゴル!来い!」=奴の元に行かねばなるまい。奴は忍耐力がなく、粗野な♂なので下手に無視をするとあとが怖い。

「寝るぞ」=奴とともに寝床に行き、奴の加齢臭を嗅ぐ。

これ以外にも私は結構「人の言葉」を理解している。

前述の他にも「ご飯」「お父さん」「お母さん」「ボール」「ガシガシ」「ハウス」「コング」「おぶちゃん(風呂の事)」「あっち(熱い)」「ノー」「ダウン」「いい加減!」etc

これに「動作」を表す言葉が加わって「会話」となる。

ただし、これはほとんどαから教えてもらったものであり、奴から正確に教えてもらった言葉などない!

奴から学んだのは、

「うるさいよ!」=私がしていることが気に入らないらしい。

「良い仔だなあ」=単なる社交辞令。気持ちが入っていることはないが、悪い意味ではないらしい。

「やるか!」=遊んで欲しいらしい。

「あ~!」=私のしたことを明らかに責めている。

「てめえ~!」=私のことらしい。

「馬鹿ゴル!」=これも私のことらしい。

余談ではあるが、どうも私には複数の名前があるらしく、奴は結構使い分けているようだが、私にはよく理解出来ない。

せめて呼び方位は統一して欲しいものである。

さて、皆さんの家庭ではどうであろうか?

会話を楽しんでいるのだろうか?

この続きは次回書くことにしよう。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

2008年8月19日 (火)

理想の飼い主

皆さん、お久しぶり!ゴル男である。

全く無気力な我が飼い主♂に代わって、今回は、私が書くことにする。

まあ、本人も書いているように今の我が飼い主♂は無気力の塊と化しており、これまでも我が家のαには粗大ゴミ扱いされていたが、この状態だと実際に「処分」される日も近いだろう。

そんな駄目飼い主の話はこの辺で終わりにして、今回は、私が思うところの「理想の飼い主」について書きたいと思う。

これまで、我が飼い主♂は「αへの道」と題して、色々なことを書いていたが、方法論的には間違っていないと思うし、多分、努力すれば「α」「リーダー」「ボス」になれると思う。

まあ、難しい話は我が飼い主♂に任せるとして、私は「私の本音」を書きたいと思う。

多分、皆さんの愛犬も同じように感じているだろうから、参考になると思うのだが・・・

我々「犬」は「狼」の特性を受け継いでいる部分も多く、犬種によっては、「見た目」も似ていて、まるで「狼」そのもののように誤解されることもあるようだ。

しかし、我々は「イエイヌ」であって「狼」ではない。

確かに「狼」から受けついでいる「特性の一部」が強化され、「狼」以上の能力を持つ「犬」もいる。

嗅覚については、ブラッド・ハウンドは「狼」に勝ると言われているし、羊を追い込む能力では、ボーダー・コリーが勝ると言われている。

さらに、総合的な能力ではジャーマン・シェパードが勝るとも言われている。

ちなみにネズミ狩に関しては、「猫」よりも「テリア種」の方が勝っている。

何故だろうか?

私は、この一番の理由は、我々「犬」が日常生活の中で、他の動物を捕獲して「食糧」とする習慣を持ち合わせていなかったからだと思う。

多分、我が「犬」のご先祖様達は、「食」は「人」に依存することに決めていたのだろう。

だからこそ「人」との暮らしが成り立ってきたのだと思う。

実際「狼」の狩の成功率は10%程度と言われているのだから、「食」が確保されれば、危険を冒してまで「狩」をする必要はなかったであろう。

私は、これも「犬」が「人」との共生の道を歩むきっかけの一つとなったと思っている。

だから、飼い主として我々「犬」に対する「食餌」の提供は、太古の昔からの契約内容の一つとして確実に履行されることを望む。

ただし、この場合でも「いい加減」な対応をする飼い主では困る。

「ここに置いておくから、喰え」といった態度では、私達は納得出来ない。

「天の恵み」と感じることはあっても「飼い主」と「食餌」が結びつくことはない。

「食餌」は飼い主と我々「犬」との関係作りに役立つ大きなきっかけとなるのだ。

「食餌」について、そんな状況で「α」を目指すのなら、きっぱりと諦めて欲しい。

所詮「無理」だと思う。

ちなみに「狼」の場合、食べる際にも「序列」があるが、我々の場合には「早いもの勝ち」が普通である。ただし、仔狼の場合には、大人の口元を舐めて「吐き戻し」を促して「食べ物をもらう」習慣がある。

多くの場合、「犬」は吐き戻したりはしないし、ましてや「人」は全くしない筈である。

それでも、私達が飼い主の口元を舐めるのは、難しい理屈は抜きにして「親愛の情を示す」程度に理解してもらいたい。

さて、次に私が飼い主に期待するのは「安心」「安全」の確保である。

私達は孤独を嫌う。

出来ることならば、いつも誰かと一緒にいたいのだ。

特に新しい「家」に迎えられたときには、置き去りにされるかも知れないといった孤独に対する「不安」が大きい。

実際、我々は、生家で生涯を過ごすことはほとんどない。

親兄弟との別れを経て、新しい飼い主に迎えられることが一般的であろう。

幼い頃の我々が不安になるのは当然のことと言えないだろうか。

先ず、この不安感を解消して欲しい。

方法はいくつかあると思うが、安心して大丈夫ときちんと伝えて欲しい。

そして、ここが肝心なのだが、様々な経験を飼い主の庇護の下でさせて欲しい。

決して無謀な「冒険」はさせないで欲しいのだ。

どんな動物にも共通していると思うのだが、未知なるものに対する「恐怖心」は常にあるのだ。

そして同じように未知なるものへの「好奇心」もある。

そして「好奇心」が「恐怖心」に勝れば、対象に「近づく」だろうし、「恐怖心」が勝れば「逃走」することになる。

そして、仮に「好奇心」が「恐怖心」に勝った場合でも、「警戒心」まで無くなっている訳ではない。

だから、対象の反応によっては「逃走」か「闘争」という選択肢は存在するのだ。

この際、飼い主と一緒にいれば「安心」「安全」だということを我々が理解していれば、過度に恐れることも過度に警戒することも逃げる必要もないのだ。

これを我々にきちんと伝えてくれないと外出時に飼い主が苦労することになる。

間違いなく我々は警戒心の塊と化しているだろうし、飼い主の存在すら忘れてしまうこともあるだろう。

愛犬との外出時に必要以上に苦労したくないのなら、この点を上手く伝えて欲しい。

次に我々には教育を受ける権利があると思う。

「しつけ」は義務教育だと考えて欲しい。

もちろん飼い主の義務である。

人と暮らす上での最低限の知識を我々に与えてくれなければ困る。

犬社会の常識と人社会の常識の違いをきちんと教えてくれなければいけないのだ。

そして更に「高等教育」もお願いしたい。

でもこれは、決して「訓練」「トレーニング」のことを言っているのではない。

「飼い主自身」を教えて欲しいのである。

実際、私達は「人社会のルール」ではなく「飼い主の考え方」で行動させられることの方が多いと思う。

いわば「飼い主の都合」で様々なことが決められてしまう。

ちなみに我が飼い主♂は幼い頃から私に散歩中の「犬との挨拶の独特の仕方」を教えた。

理由は奴が他の犬に触れなかったことにある。

自分の犬嫌いを私に押し付けたのである。

私は出会った犬に対して常に顔を上げ、正目を向き、じっとしているように教えられた。

結果、私は、先方の仔が私の匂いを嗅ぐ間微動だにせず、待つようになった。

しかし、私が先方の仔の匂いを嗅ぐことは許されなかった。

これは今でも私の中に染み付いてしまった「間違った教育」である。

でも、このような奴の自分勝手な教育は私に「奴を教えた」。

私にどのように振舞って欲しいのかを我が飼い主♂は、かなり自分勝手な理由ではあるがしっかりと私に教えた。

私は犬との出会いで自分の意思で動くことさえ許されなかったのである。

結果、私は正面から近づいて来た犬にいきなり顔を噛まれたこともある。

それでも私は、先方を噛むことはしない。

我が飼い主♂が認めない限り「反撃」はしない。

そんなとき私は必ず奴にアイコンタクトをし、反応を確認する。

たとえ離れていても、奴に「止めろ!」と言われれば、不本意ではあるがその場を離れ奴の元に行く。

そして奴が止めなければ、先方の仔を「押さえ込む」程度の事はする。

ただし、「噛む」ことはしない。理由は「奴が許さない」からである。

たとえ、どんなに耳元で吠えられても私は無視することが出来る。

たとえ、どんなに楽しい気分でドッグランにいても、これから皆で楽しいご飯という寸前でも、奴にリードを着けられれば、黙って車に乗り込み、クレートに入り静かに待つことが出来る。

実際、ほとんどの場合、私がドッグラン恒例のBBQに参加することはない。

毎回、周囲に漂う美味そうな匂いを嗅ぎながら車中で待機である。

でも、奴は私の健康を気遣っているのだ。

私のヘルニアが悪化しないように体重コントロールや寒さに関してかなり考えてくれている。

その代わりと言っては変だが、私はそれ以外の行動では常に自由にしている。

特にドッグランでは、壊したいものを見つければ確実に破壊する。

奴も一応怒ったふりはするものの、本気でないことはお見通しである。

だから、何でも壊す!

奴以外の管理人からもたまに注意されることもあるが「そんなの関係ねえ!」「馬耳東風」「糠に釘」「カエルの面にション・・・」まあ、これ位でいっか。

まあ、毎回、こんな感じである。

「本当にゴルは生意気だよな~」という声を何度も聞いたが、これも私には関係ない。

私の不始末は全て我が飼い主♂の責任である。

たまに奴に「金属は止めろよ」と言われハッとすることもあるが、基本的にはやりたい放題である。

ドッグランを出て梨畑に行きたくなれば、勝手に行く。

まあ、人はこれを「脱走」というようだが、私にすれば「散歩」に過ぎない。

奴も慌てることなく「ゴル!いい加減にしろよ」と言う位で、実際どうということはない。

それに私も含め「管理犬」と言われる仲間は、ほとんど飼い主に構ってもらうことなどない。

いつも「ほったらかし」である。

もっと我々に感謝してもらいたものである。

実際にいろいろなワンコの教育係は我々「管理犬」なのだから!

まあ、そうは言っても家では、奴が食べるものは必ずといって良いほどお裾分けがある。

少量であるが、私は奴との一体感を味わうことが出来るのだ。

いつも悪口ばかりを言い合う仲なのだが、お互いの信頼関係はある、と思っている。

私はこれが「高等教育」だと思う。

私以上に奴を知る犬は他にいない。

奴も興奮しきった私を一瞬で冷静に出来るのは俺しかいない!などとつまらないことを自慢げに言うことがある。

まあ、確かにそれは正しい。

私達にはそれなりの「絆」があると思う。

だからこそ、私は「我慢」も出来るのだ。

奴の自分勝手な意向に従うことに喜びを感じることも出来る。

多分他の「管理犬」も同じだと思う。

そうでなければ、自分勝手な「管理人」に素直に従うことなどしない。

決して「我慢」などしない。

皆さんはどうだろうか?

愛犬との「絆」はしっかりしているのだろうか?

飼い主の自分勝手な意向を愛犬は喜んで受け入れてくれているのだろうか?

さて、今回はこれで終了する。

また、機会を見て参上したいと思っているので、それまでの間、乞う、ご期待!

2008年8月18日 (月)

重圧!

さて、今回は「重圧」と題して書きますね。

予想通り、私の週末は「ゴロゴロ+オリンピック観戦」となっているのですが、そんな中でメダルを期待されていた選手が惨敗したりするのを見るにつけ、その都度「すごいプレッシャーなんだろうなあ~」って思ったりするんですよね。

そして、これが連想ゲームのように「そういえば、飼い主さんの中にも『散歩や外出』がすごいプレッシャーだって方がいるよなあ」なんて思ったりするんですね。

今回のテーマ「重圧」はそんな方のために書くことにしました。

本来、散歩や外出は犬にも人にも楽しい時間である筈なのに、それがプレッシャーから苦痛になったりするのは何とかしないといけないですよね。

まあ、これまでも色々と書いてはいるんですが、実際に散歩の途中で愛犬が興奮したり吠えたりすると飼い主さんが冷静でいられることは少ないですよね。

小型愛玩犬種の仔とかで「吠えるだけで暴れてもどうにかなる」なんて場合には、飼い主さんがパニックになることまではないかも知れませんが、中型犬クラスからは抑えるのに必死になっている方をみることもありますよね。

まあ、何れの場合でも「楽しい散歩」にならないことだけは間違いないですね。

本来は日頃からの積み重ねで飼い主さんと愛犬のしっかりした関係が築けていれば、それほどの問題にはならないと思うんですが、結構やっかいな状況になることもありますね。

先ずは「吠える」、次には「突進する」なんて順番かな?

まあ、実際に「襲う」なんてことになることは少ないと思うんですが、それでも興奮状態の仔を何とかしなければいけない飼い主さんの受けるプレッシャーは相当なものですよね。

先方に詫びなければいけないこともあるでしょうし、「世間の冷たい視線」もありますよね。

さて、こんな時どうするのが効果的だと思いますか?

まあ、比較的簡単なアドバイスとしては、「アイコンタクトをとって何かをさせる」って方法がありますね。

つまり、愛犬の意識を自分に集中させるんですね。

そして「何かをさせること」で他の犬への行動を抑えるんですね。

でも、これも普段からそんな習慣のない仔にさせるのは無理ですよね。

日常生活の中で出来ないことが、そんな緊急時に出来る可能性なんて限りなく低いですもんね。

じゃあ、やっぱり無理なんでしょうか?

実は、そんなことはないんですよね。

リードの使い方一つで対処出来ると思って良いと思いますよ。

リードは飼い主の不安を伝えるものではなくて、指示を伝えるものなんですから、使い方次第でかなりの緊急時にも対応出来ますよ。

実際にどうするか?ですが、とにかく歩かせることですね。

先方の仔と愛犬の間に自分が入るようにして、リードは短くしっかりと持って、普段と同じように歩かせて通り抜けることを心掛けるだけで良いんですね。

もしも、愛犬の意識が先方の仔に向くことが心配なら、リードで軽いショックを与えて、自分に注意を向けるようにするだけで大丈夫と思いますよ。

この際にやたらと声を掛けたり、叱ったりすることはしない方が良いと思います。

愛犬がその声をどのように受け止めるか分からないときには、声を掛けることは避けた方が無難ですからね。

飼い主さんの声を「応援」と受け止めることもあるかも知れませんし、「叱られた」と受け止めた場合には「犬に対する恨み」になってしまう可能性もありますからね。

余計なことはしない方がいいですよね。

まあ、実際に私達が「問題のある仔」をドッグランで迎えるときには、とにかくリードを持たせてもらってドッグランの中を歩かせるだけですから。

名前を呼んで私達に注意を向ける位のことはしますが、他に何も特別なことはしません。

それだけで全く何の問題もなく落ち着く仔もいますしね。

まあ、もちろん、そうはいかない仔もいます。

でも、私達がリードを持っている限り、何の問題も起きませんよ。

当然、初対面の仔ですから、私達とその仔の間には何の関係もありません。

それでも、指示に従ってくれますよ。

何故だと思いますか?

何故、見ず知らずの私達の指示に従ってくれるのでしょうか?

この答えはこれまでに書いてきたので、敢えて今回は書きませんね。

とにかく、私達管理人がリードを持ってさえいれば大丈夫なんですね。

だから、飼い主さんが散歩で制御出来ない理由はないと思いますよ。

プレッシャーに負けることなく「楽しい散歩」を心掛けて下さいね。

きちんと歩く習慣を愛犬につけてあげて下さいね。

これは非常に大切なことですから。

さて、今回は意味深な書き方で終わりますね。

次回は、また、何かお役に立つことや楽しい話題を書きたいと思います。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

Wan’s LifeのHPhttp://wans-life.org/の相談室からお願いします。

私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月17日 (日)

食の楽しみ

さて、今回のテーマは「食の楽しみ」です。

こんな暑くて、自由に外で楽しむことが出来ない季節には「食べる」楽しみは大きいですよね。

もちろん、楽しみと言っても夏バテ気味の私のではなくて、常に食欲旺盛の我が家の暴れん坊、ゴル男の楽しみですよ。

奴の場合、アレルギーがあるので、フードはアレルゲンの除去食なんですが、トッピングは鶏のササミ、かぼちゃ、キャベツ、おからといったところが多いですね。

まあ、これは通常の「ご飯」なんですが、奴の楽しみは他にあるんですね。

それは何かと言うと、私達からの「お裾分け」です。

我が家の食事は、朝は私達が先に済ますんですが、夜は一緒なんですね。

一緒と言っても、当然に「丸呑み」のゴル男は先に自分の分を食べ終わりますから、後のお楽しみは私達からのお裾分けになる訳なんですよ。

もちろん、味付けの濃いものや食べさせてはいけないものは別ですが、私達の食卓から少量とはいえ、必ず肉や魚、野菜を食べさせていますね。

何もなくても「ご飯=お米」は確実に食べさせています、というよりゴル男用の茶碗も用意していますから「お裾分け」ではなくて、確実に奴の夕飯の一部になっていますね。

魚をほぐしてまぶしてあげたりしているので、結構、美味しいと思いますよ。

「しつけ本」には絶対にしてはいけないこととして書かれていますが、我が家の夕飯はゴル男ばかりではなくて、私達にも楽しみになっているので、全く止める気はありません。

今では、何となくゴル男の分を最初から意識して除いて食べるようになっていますね。

だから、夕食=ゴル男とカミさんと私が一緒に楽しむ時間なので、こればかりは誰に何を言われようと変えることはないと思います。

ゴル男の場合、日中はお留守番が多いので、「間食」は夕食後に限られているんですが、私達が「果物」とか「お菓子」を食べるときには必ずと言って良い位一緒に食べています。

まあ、「卵」が駄目なので、「お菓子」といっても「煎餅」が多いんですが、一緒にテレビの前で私と一緒にがりがり食べていますね。

果物に至っては、ゴル男に上げ易いように買ってきたら直ぐに全てカットします。

ちなみに現在の我が家の冷蔵庫には「すいか」「グレープフルーツ」「パイナップル」「桃」「リンゴ」があって、変質しないものは全ていつでも食べられるようになっています。

どれもゴル男の大好物なんですね。

だから、台所で私達が呼ぶとたとえ寝ていてもゴル男は猛ダッシュでやって来ますよ。

奴にとっての「食べること」何より一番の楽しみなんですね。

この楽しみだけは可能な限り満足させて上げたいと思っています。

こんな日常生活を過ごしているんですが、一応体重のコントロールも上手くいっているんですよ。

私は「食」を一緒に楽しむことも犬と一緒に暮らす上での楽しみの一つだと思っています。

愛犬との生活の楽しみ方はそれぞれの家庭で様々だと思うのですが、どんな形にしろ一緒に楽しむということは、とても大切なことだと思いますよ。

これからも駄目飼い主の私達は決して「本には書いていない楽しみ」を発見しながらゴル男との生活を充実させていきたいと思っています。

さて皆さんのご家庭ではどうでしょうか?

しっかりと楽しんでいますか?

今回はこれで終わりです。

次回は、もう少しお役に立ちそうなことを書きますね。

ということで次回もまた、乞う、ご期待!

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2008年8月16日 (土)

ダレダレ!

暑いですね~!とにかく蒸し暑い!

私もゴル男もこの暑さと湿気ですっかり参っています。

まあ、ゴル男の場合、一日中エアコンをかけてある部屋もあるし、家の中は自由に移動出来るようにしてあるので、色々な部屋に移動しては体温調節をしていて、体調面での心配はありませんが、ドッグランも休業中だし、思うように外出出来ないストレスはあるようです。

私の場合は、希望する温度設定も出来ない環境で仕事をしていますし、とにかく足元が冷えて結構つらいですね。

内と外の温度の違いについていけない状態です。

ここに来て、昔、同じ職場の女性たちが「冷房で体調を崩す」と言われていたことが理解出来るようになりましたね。

こんなときこそ「愛犬との絆作りに励む!」「見て、触れて、一緒に遊ぶ」と常日頃私がこのブログで皆さんに訴えていることを実行すべきなんでしょうが・・・

とにかく、体力気力ともに全くない状態。

ゴル男にしても「いいよ、面倒くせえから」って感じで、大好きなプロレスごっこもやろうとはしませんね。

台所で何か食べ物をカミさんからもらって戻ってくるだけで、耳の中と口の周りが赤くなるほど熱を帯びて戻ってくる位ですから、奴も身体を使った遊びはやりたいとは思わないようです。

定番の夜の散歩でも、これまで同様にゴル男とカミさんと私で一緒に歩くんですが、楽しい話題は一切無く、口を開けば「暑い!」ばかりです。

皆さんはどうなんでしょうかね?

私の週末は、テレビのオリンピック観戦の他は、何の予定も無く、ゴル男とともにゴロゴロして過ごすことになりそうです。

まあ、ほんの少しだけ「読書」でもしようかとは思っていますけどね。

ということで、今回はこれで終わります。

次回からは、また、気合を入れなおして、何かお役に立つことや楽しい話題を書きたいと思いますので、次回もまた、乞う、ご期待!

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2008年8月15日 (金)

犬≠狼、でも、犬≒狼

さて、今回は前回の続きです。

題して「犬≠狼、でも、犬≒狼」です。

前回書いたように「犬」は「狼」の特性を受け継いでいる部分が多いんですよね。

でも、確実に受け継いでいるのではなくて、結構いい加減なようです。

まあ、野生動物のままの性質では、とても私達と一緒には暮らせない訳ですから、当然と言えば当然のことなんですけどね。

犬の場合、何をするにも狼と比べると「遊び半分」なようです。

ちなみに「脳」も犬よりも狼の方が大きいそうですよ。

やはり、野生で生き抜くための「知識の貯蔵庫」としての役割のせいでしょうか?

何となく、そんな気がします。

あと、顔の表情とか独特の仕草も「狼」の方が多くて、コミュニケーションのとり方も上手だと言われていますね。

このことで「無駄な争い」を避けることも出来るんだそうです。

それから「狼」も「犬」も遊び好きに変わりはないんですが、「犬」は「狼」と比べると随分と「子供っぽい」そうで、「狼」のように真剣に何かをするってことも少ないようですね。

例えば「狼」は狩を行う場合に、きちんと役割分担をし、手順通りに狩をするそうで、失敗した場合には、最初の行程からやり直すそうです。

ところが、「犬」の場合には、何をするにも途中の行程だけを繰り返したり、狼のような統制のとれた行動もしないそうです。

でも、そんな「犬」の特徴を私達「人」は「犬」との暮らしの中で利用してきたんですね。

「犬に残されている狼としての部分」を利用したり、全く違った部分を利用して来たんですね。

それも「遊び」=「楽しい」といった感じで、人にとって望ましい行動を強化してきたんですね。

特に作業犬の場合には、かなりはっきりとしていますよね。

ボーダー・コリーの羊の追い方なんかは、その典型と言われていて、狼の群れで行う狩での個々の狼の役割を単独で行うようになっています。

ただし、一番重要な目的=獲物をしとめるが欠落していますけどね。

そしてこの「羊を追う」という行動は行動そのものが「報酬」となっていて、作業を終えたボーダー・コリーへの最大の報酬は「また、羊を追わせること」だとも言われていますね。

分かり易く書くと「喜んでやっている」ってことなんですね。

ですから、犬が狼から受け継いでいる「特性」を遊び感覚で学習すると、「喜んでやる」ってつながるんですね。

少し厳しい話ですが「テリア種」とかは、狼の狩での行動「噛む⇒殺す」という部分が強化されていて、結果的に小動物を食べることなく「殺す」ことだけを繰り返すように作られたんですね。

ですから「ネズミ駆除」の王者は「猫」ではなくて「犬」なんです。

目的が「食べる」ではなくて「殺す」なんですから・・・

それからもう一つ、犬が狼から受け継いでいる特性=リーダーに従う、主従関係を築く、ということも最大限に利用して来ました。

人との間でも「主従関係が築き易い」って意味でですね。

そしてこの「主従関係を築く」=「服従訓練」につながって来ているんですね。

「食べる順番は常に人が先」とか「出入りや歩く順番も常に人が前」とか「ソファーやベッドに上げてはいけない」とか書いてある本は「狼の特性」を意識して書かれているんですね。

でも、ここが私達普通の飼い主が大失敗をし易い部分でもあるんですよね。

前回、「犬にとってのリーダーとかαの存在は「狼」ほど厳格なものではない」と書きましたよね。

そこを勘違いし易いんですよね。

恐らくどんな「しつけの方法」でも、きちんと実行すれば、結果的に「しつけ」は出来ると思います。

私達との暮らしの中での最低限のルールは教えることが出来ると思うんですよ。

でも、それだけでは、不十分な場合もあって、結果「家では問題ないんですが・・・」になってしまう場合もあるんですね。

今回の「αへの道」シリーズではこのことを書いて来ましたから、もう、お分かりだと思いますが、もっと積極的に「自分の保護下にあること」「何が起きても安心」ってことを教える必要があるんですね。

「私達に従う喜びと安心感」を犬に伝えなければ駄目なんですね。

最初から犬に自己判断に基づく自由な行動を求めるのは、家庭内で「野良犬」を作るのと変わらない位に考えても構わないと思います。

そして私達との暮らしで「犬自身がわが身も縄張りも守る必要のないこと」を教えなければいけないんですよね。

常に私達飼い主が守っていることを教えてあげましょうね。

そして我が家を安全な場所と教えて上げられれば、飼い主不在時の問題さえも激減すると思いますよ。

これは、他の仔達との関係でも同じです。

私は「犬同士の遊びには危険性がある」と何回も書いて来ました。

「遊び」から「闘争」への変化を心配するからなんです。

実際にドッグランをやっていてもそんな危険性を排除することを常に意識しています。

どうも、飼い主さんが理解していないなあ~って感じるのがここなんですね。

仮に愛犬が他の仔と追いかけっこを始めたとします。

重要なのは、「始まり方」と「終わり方」です。

最悪なパターンが「飼い主さんを無視して走り始め」、「相手の仔を追い詰めて終わる」です。

最良は「飼い主さんの了解を得てから走り始め」、「しばらく走ってから飼い主さんの元に帰る」です。

それも「呼ばれて戻る」ではなくて「常に戻る」が必要ですね。

まあ、最初は嬉しさから興奮状態になっていることも考えられますから、多少ゆるく考えても構いませんが、終わり方は「妥協」してはいけないですね。

でも、これはドッグランに来て急にやろうとしても無理ですよ。

常日頃の努力が不可欠ですが、そこまで出来るようになっていれば、「ホーム」=「飼い主」=「安心・安全」になっていますから、どこに行ってもどんな所に居ても大丈夫ですよ。

間違いなく「落ち着いた仔」で居られます。

こんな関係を築けたら、次には愛犬を自由にさせてあげると良いですよね。

徐々に「考えること、判断すること」を教えてあげると、もっと愛犬との生活に嬉しい驚きやゆとりが出てくると思いますよ。

だから、先ずは、「絆作り」に励んで下さいね。

でも、これは「訓練」「トレーニング」とは関係ないことですよ。

私達が「訓練」や「トレーニング」を通じて「犬に何かを教える」時間は非常に短いです。

どんな本にも「短い時間でするように」と書いてありますよね。

でも、私達が日常生活で「無意識に教えている時間」は、何時間あるでしょうか?

私は、以前、私達が無意識に教えてしまう弊害を無くすために「クレート」や「サークル」を使うのかな?と考えたことがあります。

とにかく、「しつけ本」には必ずと言って良いほど「クレート」「サークル」の使用を勧めていますよね。

実際にそんなことを意識して書かれているのかは分かりませんがそんな気がしてなりませんね。

また、脱線してしまいました。

まあ、とにかく愛犬との暮らしでは「安心・安全」の確保が第一だということを忘れないで下さいね。

愛犬とのしっかりとした「絆」も築けていない段階での「自由放任」は決してしてはいけないことだと思いますよ。

一般に犬の知能は3歳児レベルと言われています。

だとしたら、一生涯幼児と考えても構わないですよね。

幼児に自立した生活を求める親はいないですよね。

幼児が自動車を運転して旅に出るなんて想像も出来ませんよね。

幼児同士の喧嘩を防いだり、仲裁をするのは「親」の役割ですよね。

子供を守り育てるのは親の義務です。

私はそう考えてゴル男の生涯を見守って行きたいと考えています。

皆さんはどうでしょうか?

さて、今回は、これで終わります。

もう「αへの道」シリーズも皆さんも「飽きた」でしょうから、次回からは、また何かお役に立ちそうなこと楽しい話題を書くことにしますね。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

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私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月14日 (木)

犬と狼

さて、今回は「犬と狼」と題して書きますね。

もちろん、これも「αへの道」のためのお役立ち情報ですよ。

もっとも基本的なことですね。

もちろん、毎度お馴染みの「私が思うこと」ですよ。

多分、皆さんも愛犬に何かを教えようとする場合、しばらくは「一進一退」の状態が続くと思うんです。

昨日は出来たけど今日は出来ない、なんてことは当たり前にあることだと思うんですよね。

実際、私達の都合やルールを愛犬に理解させるのは、犬としての本能と違った行動を教える訳ですから、結構大変なこともありますよね。

逆に犬の持って生まれた性質を利用すると簡単に出来るようになることもあるんですよね。

こうなると「犬の持って生まれた特性」ってことを理解することが「αへの道」を順調に歩むために必要なことになると思うんですよ。

まあ、この辺のところは、私もこれまでにかなり書いて来ましたし、本にも確実に書いてあることなので、詳細は省きますが、犬種の特性とかで、かなり特殊と思われることでも簡単に覚えたりしますよね。

そう考えると、このシリーズのテーマ「αへの道」=「飼い主としてあるべき姿」を目指すことが、「犬の持って生まれた特性」から考えて、簡単なことなのか?難しいことなのか?って疑問が湧きますよね。

あっさり書きますが、実は「簡単なこと」なんですね。

本来は「簡単な筈」なんですよ。

既に皆さん、十分にご存知かと思いますが、犬のご先祖筋にあたる狼には「群れで生活する」「群れにはαが存在する」「下位の狼は上位の狼に従う」という特徴があります。

これを「犬」も受け継いでいるから、「αという存在を認め、αに従うことは自然なこと」となるんですね。

「え~、そんなことないよ。我が家でも結構頑張って来たけど、少しもαだなんて思われてないよ!」という方もいらっしゃるかも知れません。

或いは「小さい頃、かなり厳しく育てたし、体罰まで使って、「人」の強さも教えたけど、結局、何一つ私の言うことは聞かない」なんて方もいらっしゃるかも知れませんね。

何故でしょうか?

どう思われますか?

この疑問を解決するために、狼についてもう少し詳しく書きますね。

そして「犬」との違いを書きたいと思います。

先ずは、「狼」です。

「狼」は生きる糧を得るために「群れ」で「狩」をします。

そして「狩」はリーダーである♂のαの指示に従い、各自が役割分担をして行います。

狩を行う場所、獲物を確保するため、縄張りを作り「群れ」で守ります。

そしてやっと「食べる」ことが出来、生きることが出来るんですね。

ですから「狼」にとっての「群れ」は生きるために絶対に必要なものなんですね。

また、「群れ」には、「♂のα」と「♀のα」が存在して、群れ全体のαとして「♂のα」がいます。

普通は、「♂のα」と「♀のα」の仔が群れの仔として育てられるんですね。

そのため、野生動物に共通した目的=「自分の遺伝子を残す」という権利を得るために「α」の座を目指すんですね。

たまに「α」にはαの仔として生まれた者のみがなれる、とか書いてある本を見かけますが、これは大きな間違いというか不勉強な記述で、実際、群れにはαの仔以外の狼はいないんですね。

実際に、♂のαの仔以外の仔もいるようですが、♀のα以外の仔は存在しないんだそうです。

何故かというと、群れの中で出産出来るのは「♀のα」のみだからだそうですよ。

「♀のα」は他の♀の交尾は認めないんだそうです。

怖いですね~!

そして、生まれた仔は、群れの中の大人達みんなで面倒を見たりするんですね。

狼の場合、犬と違って性成熟と心身の成長は同じように進行して2歳から3歳で大人になるそうです。

それまでは「子供扱い」なんですね。

また、本によっては、一度αが決まると「群れ」は平穏になり、下位の狼は上位の狼に従う、と書いてあるものもあるし、αの交代についても、あたかも全てが平和的に決着し、その平和がαが自ら引退するまで続くように書いてあるものもあるようです。

でも、どうも必ずしもそうではないようです。

「狼」の研究者が書かれた本には、

群れの中の序列を決めるための闘争は毎年のように繁殖期前に起こり、下位の狼は上位を目指す。

上位の狼の力と自分の力の優劣を「遊び」を通じて探ったりする。

「遊び」の中で相手よりも自分が勝ると感じた場合には、序列を巡った「挑戦」に発展する。

そして、自分の力が「劣る」と感じられるうちは「従順」に振舞うが、これも身の安全を確保し、時期の到来を待っているだけである。

αは必ずしも群れの中で一番体が大きく強い者がなるのではなく、雰囲気や人気も重要な要素となっていて、1匹のαを追い落とすために複数の狼が戦いを挑むこともある。

ざっと、こんな記述がありますね。

そこで、狼の場合の特徴的なことを整理すると、

狼は「生きるため」に群れを作る。

狼は群れの「縄張り」を守る。

狼は群れで「狩」をし、群れで「子育て」をする。

群れには♂と♀の「α」がそれぞれ存在する。

「力」のみが「α」を決めるのではない。

下位の狼は上位の狼に服従しながらも、上位となる時期の到来を待っている。

となると思います。

さて、そこで我が愛する「犬」はどうでしょうか?

野生の犬の研究では、

犬はほとんど群れを作らず、せいぜい家族的な少数グループで行動する。

狩をすることはめったになく、腐肉をあさることの方が多い。

縄張り意識も薄く、他の群れと縄張りが重なることもある。

群れには上下関係があるが「狼」ほど厳格なものではない。

まあ、こんなところのようです。

そこで、これを私がこれまで書いて来た「αへの道」に照らし合わせてみますね。

少し考えただけでも、私達と一緒に暮らすうえで随分と好都合なことが多いですよね。

野生の犬でさえ、私達との生活に都合の良い一面を見せていますよね。

リーダーのもと家族的な暮らしに馴染みやすい⇒家庭、家族の構成員になりやすいですね

縄張り意識も薄い⇒過度な防衛本能はないようです

狩猟本能もあまりない⇒食糧確保は「狩」より「探す」ことの方が多いようです。

というように色々な面で狼ほど「はっきりとした特性」は少ないようですね。

これを私達の周りにいる「犬」に置き換えるなら、もっと私達との生活に都合が良い面が多いと容易に想像出来ますよね。

でも、狼ほど厳格なところがない分、人間側が対応を間違えると「やっかいなことがありそう」ということも想像出来ますよね。

例えば「α」の存在についても「狼」の場合、「α」に逆らうことは下手をすれば「死」につながる恐れがあるから「絶対服従」となりますよね。

でも、犬の場合には、どうもそんな重要な意味はないようです。

なんせ、「狩」もしないし「縄張り意識も薄い」んですから「群れ」の存在意義もあまりないですよね。

生死に関わるような問題がほとんどない。

少なくとも私達飼い主と犬との関係で「生死に関わること」なんてないですよね。

強いてあげるとしても「食餌」だけですよね。

どうも「犬」は私のようにかなり「いい加減な基準」しか持ち合わせていないように思えるんですよ。

敢えて「狼」を意識するならば、「仔狼」といった感じがします。

「仔狼」の場合、大人に対して、かなりのいたずらをしても許されます。

群れのαもそんなに厳しい対応はしません。

ですから、仔狼は自由に「ごっこ遊び」を繰り返すことが多いようです。

「遊び」なので決して「シリアス」な問題は起きないそうですが、「戦いごっこ」なんかもするそうです。

自由な遊びを通じて狼として生きていく術を学習していくんですね。

さて、犬の場合はどうでしょうか?

もちろん狼とは違うし、野生の犬とも少し違うような気がしますよね。

「イエイヌ」はどうなんでしょうか?

私達との生活の中で何をどう学習していくんでしょうか?

ここが肝心なところなんですが、また、また長くなって来たので、この続きは次回書きますね。

ということで、次回もまた乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

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私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月12日 (火)

最初の一歩

さて、今回はαへの道を順調に歩めなかった男=私の経験談、というより失敗談をベースに書きますね。

題して、「最初の一歩」です。

まあ、このブログをお読みいただいている皆さんは、愛犬を家に迎えるときにご自分のライフスタイルに合った犬種選びから始まり、犬種を決めてからは、どうしたら手に入れることが出来るのか、ブリーダーさんと連絡をとったり、ネットで検索したりでかなり計画的に準備をされたと思うんですよね。

まあ、私のように「犬嫌いの初老の衝動買い」なんて方は皆無でしょうね。

私の場合、犬に関する知識も経験も完璧に無かったので、ゴル男を我が家に迎えてからというもの、それまでの中年夫婦の平和な生活が一変して、随分刺激的な生活が始まりましたね。

私は、本当に犬という生き物は何も教えなくても飼い主の指示には従うものだと思っていましたし、全部の仔が成犬になれば「ラッシー」のように振舞うものだと思っていました。

ところが現実はそんなに甘いものではなくて、と言うよりも、かなり厳しいもので家具を始め失ったものは多かったですね。

今では、ゴル男に対して「出来ないことはない」位になっていますが、当時はゴル男の甘噛みですら「恐怖の対象」でしたね。

当然、ゴル男に対する「威厳」は0、全くありませんでしたね。

本当にどう対処したらよいのか皆目見当もつきませんでした。

散歩の意味とか必要性とかも全く理解していませんでしたね。

当然に「α」なんて無縁の世界にいました。

まあ、このことは今までにも書いてきましたので、これくらいにしますが、とにかく「だらしない飼い主」でしたね。

今回はこのことを「私の視点」ではなくて「ゴル男の視点」から考えてみたいと思います。

毎度、お馴染みの長い前置きはこれくらいにして、いよいよ本題に入りますね。

そんなとんでもない家に来た頃のゴル男の心境を考えると胸が痛くなる!なんてことは全くないですが、確かに同情すべきことは多いと思いますね。

それまでのゴル男の生活から考えれば、必ず「頼れる存在」が常に身近に居てくれたと思うんですよ。

でも、我が家に来た瞬間から奴には頼れる存在が見当たらない、「甘える対象」には不自由しなかったものの、間違いなく頼れる存在はいなかったと思います。

まあ、犬に関する本的に書くならば「リーダーのいない群れ」「αのいない群れ」に迷い込んでしまった哀れな仔犬だったのかも知れません。

「従うべき存在」「確実に自分を守ってくれる存在」がいない!

どう考えても、これはきついですよね。

でも、ゴル男の場合、元々性格的にはひ弱なところが無かったので、おのずと奴の選択肢は「自立を目指す」方向になって、結果、あんな「奴」になってしまったんですね。

奴の場合、『自分の身は自分で守る。でも、お前のことまでは面倒見切れないから、自分で頑張ってくれよな。』みたいな心境なのかも知れません。

たまたま奴がそんな性格だったので、その事が「問題行動」につながるなんて事はなかったんですが、そうでない場合、例えば「臆病な性格の仔」「支配欲の強い仔」の場合にはゴル男みたいにはならないかも知れませんね。

臆病な性格の仔の場合、自分で恐怖を克服出来ないわけですから、「吠える」とか「恐怖」からくる「闘争」とかになり易いでしょうし、「支配欲の強い仔」の場合には、飼い主を無視した行動につながりやすいと思いますね。

でも、これも飼い主さん(特にパパさん)がきちんと「最初の一歩」から家の「α」としての自分の存在を愛犬に伝えてあげさえすれば、余計な問題は起きないんですよね。

人間社会に置き換えて考えても、「誰かについて行く」ほうが「楽」ですし、そう考えなくとも自分にそれだけの力がなければ「ついて行く」しかないですよね。

旅なれていない人は「○○ツアーご一行様」という旗について行く方が安心感がありますよね。

外国語の話せない私みたいな人間は海外では現地ガイドや通訳と一緒にいないと、目的地に辿り着くどころか、自分が今どこにいるのかさえ分からなくなると思います。(実際に私は北京で迷子になった経験がありますよ。)

仔犬にすれば「人の社会」のルールも分からない、「言葉」も全く分からない状態なんですから、必死になって自分の力で生きていくか、寄らば大樹の陰で暮らし始めるのか、彼らの「最初の一歩」はここから始まりますよね。

だから、私達が上手く導いてあげさえすれば、きちんと私達「飼い主」について来るとは思いませんか?

仔犬にとって一番自然な行動ですよね。

だから、そこをきちんと理解して飼い主としての最初の一歩を踏み外さなければ、その後の暮らしの平和は保証されたようなものですよね。

最初の一歩を大きく踏み外した経験者の私はそう思っています。

本当に我が家に平和が訪れるまでは「長い道のり」でしたから・・・

何をするにしても、愛犬に尋ねるのではなく、きちんと教えてあげること、正しい方向に導いてあげることから私達と彼らの生活が始まるんですよね。

「私に従うことがあなたの安全と幸せにつながるんだよ」って教えてあげる必要がありますよね。

ただし、私達もそのことをきちんと実行しなければいけないですよ。

確実に守ること、幸せな暮らしを約束するんですから、それなりの覚悟は必要ですよね。

その点を忘れては「飼い主失格」ですよね。

でも、私同様、最初の一歩を踏み外した方でも、多少の遠回りはあるにしろ「αへの道」への軌道修正はいつでも出来ますから安心してください。

犬は終生「幼児」なんですから、何時でも失地回復は可能です。

でも、毎日の生活を楽しく暮らしたいならば、今すぐにでも「αへの道」に戻るべきだと思いますよ。

さて、皆さんのご家庭はどうでしょうか?

頼るべき人、従うべき人を見つけられず、家の中で愛犬を「迷子」にしてはいませんか?

誰にも何も教えてももらえず、守ってももらえず、愛犬を「捨て犬状態」にしているなんてことはないですよね。

こんなことは「基本的犬権」ですよね。

まさか、皆さんのご家庭ではそんなことはないと思いますが、今回は私の反省の意味も込めて、こんなことを書いて見ました。

今回は、これで終わります。

次回もまた「αへの道」を目指す方のために何かお役に立つようなことを書きますね。

ということで、次回もまた乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

Wan’s LifeのHPhttp://wans-life.org/の相談室からお願いします。

私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月11日 (月)

迷路

さて、今回は「迷路」と題して書きますね。

もう、お分かりだとは思いますが「αへの道」を目指している筈がいつの間にか迷路に入り込んでしまうってお話です。

愛犬のとの暮らしも何年か経って、既に知識も経験もあるし、困った時には専門家のアドバイスも聞いた、でも、他の仔との関係が心配で中々外に出られない!なんて方もいらっしゃると思うんですよね。

実際、私達のドッグランに相談にお見えになる方は、先住犬がいたり、以前にも犬との暮らしの経験がある方が多いですね。

つまり、「犬との暮らし」については、私よりも先輩が多いんです。

そんな方の場合、異口同音に「前の仔はこんなことは無かったのに、この仔は・・・」って話されますね。

こんなお話を伺う度に私は「そりゃそうだよな~。全く同じ仔なんている筈ないもんね」と思うんです。

子育てと同じですよね。

「上の子は手が掛からなかったのに、この子は!」なんて、よくあるお話ですよね。

そして、犬との暮らしが初めての方でも苦労なさっている分「知識」は豊富だったりするんですよね。

以前にも書きましたけど、こんな時、一番問題を生みやすいことが「知識」だったりするんですね。

特に「本」からの知識は邪魔になることが多いですね。

これまでも何回も書いて来ましたが、著名な「訓練士」「トレーナー」が書いた本に間違いはないと思いますし、その通り実行すれば確実に「しつけ」は出来ると思います。

でも、ここで一番問題なのが飼い主さんの「情」なんですよ。

それも中途半端な「情」ですね。

よく「犬の擬人化」ということが「問題」とされていますよね。

昔の欧米の感覚では宗教的なこともあって「動物に感情はない」「魂はない」と言われていました。

「学者さん」の世界でも「擬人化」は決してしてはいけないこととして戒められていました。

ここでそのことの是非を書くつもりは全くないんですが、しつけ本にも必ず「犬は人間ではありません。だから、息子でも娘でもありません」とか「擬人化というのは人間が一番という人間の勝手な傲慢さの現れである」とか書かれていることが多いです。

また、こんなことも書かれています。

「犬を甘やかすという飼い主がいるが、それは逆で飼い主が犬に甘えているだけである」

かなり、厳しい意見ですよね。

皆さんはどう思われますか?

私の意見は「そうですか」の一言です。

犬との暮らし方はそれぞれの家庭の考え方次第でどう考えようと一向に差し支えないと思うんですね。

ただし、ここで「ぶれないこと」が重要だと思うんですよ。

「息子」や「娘」と考えているならそれで一向に差し支えないと思いますよ。

でも、そう思っているなら、徹底して考えるべきですね。

ここまでのお話は「うん、うん」と考えてもらえると思います。

ところが、多くの皆さんが日頃はそう思っている筈なのに問題が起きると「犬」としての解決法に頼ってしまうことが一番問題を難しくしてしまうんですよ。

具体的な犬の問題行動の解決法が書かれている本には、決して「あなたの息子さんの場合・・・」とか「あなたの娘さんの場合とか・・・」は書かれていません。

「犬の問題行動」の治し方が書いてあるだけです。

ですから、基本的な対処法は「犬として扱う」ことが基本になっています。

皆さんはどう思われますか?

私は、こう考えていますよ。

「本」に書かれていることは「きっかけ作り」。

だから、お互いに言葉が通じない私達はそのきっかけを通じて愛犬との正しい関係を作れば良いんだ!ってね。

専門家と言われる方たちは、生き物としての「犬」についての専門家なんですね。

それを「本」を通じて素人の私達に分かりやすく伝えてくれているんだと思います。(まあ、中には結構いい加減な本もありますけどね。)

だから、そこに「擬人化」が邪魔だったりするんですよ。

でも、私も含め多くの方が「そんなことは分かってるよ」って感じで読み流しちゃうんですよね。

本当は生き物としての「犬」を理解したうえで、「我が子」の性格とかを「見て、触れて、一緒に遊んで」理解することが大事だと思うんですよ。

問題行動を治す場合の方法はたくさんあります。

同じ問題の解決方法でも専門家の意見がまったく逆だったりすることもあります。

でも、その方法を選ぶのは私達です。

高名な方々の意見ですから、多分、どちらの方法でも「表面的な問題」は解決出来ると思います。

でも、愛犬との関係を作り上げるのは私達自身が決めることであって、決して本には書いてないですよね。

仮に訓練やトレーニングの成果で飼い主さんの指示に何でも従う仔になったとしましょう。

「条件付け」をすることで一定の行動を覚えさせることは可能です。

犬に私達にとって望ましい行動を促がす場合には「良いことがある」と結びつけ、行動を制御する場合には「嫌なことが起きる」と結び付けることによって、望ましい行動を覚えさせるのが基本だと思います。

望ましい行動には「報酬」を、望ましくない行動には「罰」を与えるんですね。

こうして私達との暮らし方を「犬」に教えるんですね。

ここまでは、誰でもなさることですよね。

私達と一緒に暮らす以上「しつけ」は絶対に必要なことです。

では、次にあなたは愛犬に何を望みますか?

そこが一番肝心なところですよね。

愛犬との暮らしをどう考えるのか!

私はゴル男を我が家のやんちゃな長男坊として見ています。

だから、奴は「やんちゃ」で一向に構いません。

家具なんて食べない限り、壊したって全然構わないと思っています。(奴の名誉の為に書きますが、今はやりませんよ)

私が意味もなく「おいで」と声を掛けても「何だよ、俺は眠いんだよ」で構わないと思っています。

でも、私が本当に呼んだときには、確実に来る仔にはなって欲しいと思っていました。

今のゴル男は、そんな仔になっていますよ。

私は奴に私の気持ちが通じているからだと思っています。

気まぐれでいい加減な私を理解していると思っています。

お互いに相手を尊重し、甘え、甘えられの生活をしています。

だから、私も奴の「自尊心」を傷つけるようなことはしません。

奴は私の絶対的な庇護の元、自由に暮らしていますよ。

ちなみに私のこの考え方がこのブログのタイトルの「ゴル男のダンディズム」になってます。

皆さんは、どうでしょうか?

考え方さえしっかりしていれば、多少の遠回りはあっても、充実して「犬との暮らし」が出来ると思っていますよ。

また、書きますが、この考え方が私達のNPO法人「Wan’s Life」の基本的な考え方でもあり、名称の由来でもあるんですね。

さて、今回はこれで終わります。

次回もまた、「αへの道」を目指す方にお役に立ちそうなことを書きますね。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

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2008年8月 9日 (土)

ドッグランのα

さて、今回のテーマは「ランのα」です。

誰のことかと言えば「私達管理人」のことなんですね。

「達」で「α」と言うのは変ですが、まあ、ニュアンスとしてご理解下さいね。

前回、私達のランに初めて来た仔の場合には、私達が相手をしてから自由にさせると書きましたけど、そうすることによって、「恐怖」からも開放されるとも書きましたね。

今回は、その辺のところをもう少し詳しく書きますね。

大体の場合、私達のランに通い始めた頃の飼い主さんは愛犬以上に緊張されていることがほとんどですね。

私達がいくら「大丈夫ですよ」と言っても、飼い主さんは「心配で、心配で・・・」

ただ、ひたすら「心配だけ」しちゃって「見守る」だけになっちゃうんですね。

結果、何も出来なくなってしまう。

こんな時の「犬の気持ち」は、何をどうしたら良いのか、誰を頼って良いのかが分からない!ってなりますよね。

そんな不安定な状況になるのを防ぐために私達管理人が相手をすることが必要になるんですね。

犬は非常に賢くて、直ぐに私達管理人が「ランを守っている」、言い換えれば「α」として他の仔達にも睨みを効かせている存在だということを見抜くようになるんですね。

そんな私達が側にいることによって「安心」しますし、その場の「恐怖も薄らぐ」んですよね。

もちろん最初のうちは、飼い主さんに私達管理人がすることを見ていただいて「どうしたら良いのか」を覚えていただくこともしてはいるんですが、ある程度の時間を経過して、じゃあ飼い主さんもやってみましょう!となっても「固まってしまって動けない」方もいらっしゃいますね。

まあ、私達がワンコの面倒をみることは一向に構わないのですが、そればかりでは、飼い主さんの力強さとか一緒にいる安心感を愛犬に伝えることは出来ないですよね。

かえって「不安」が増してしまうような気さえしますよね。

これまでも何回も書いて来ましたが、愛犬は常に私達を観察していて、決して私達が教えることを学習しているばかりではなく、私達の無意識の行動を学習することの方が多いと思います。

だから、散歩やドッグランといった「外での行動」では、確実に飼い主が愛犬に安心感を与えて上げなければいけないですよね。

多分、そんな安心感を愛犬に伝えてあげることが出来れば、「恐怖」から「闘争」とか「怯えて吠える」なんてことは無くなると思いますよ。

今日も暑くなりそうですが、愛犬とともに避暑にお出掛けとかの方もいらっしゃると思います。

そんなときには、是非、このことをお忘れなく!

さて、今回はこれで終わります。

次回もまた、「αへの道」を目指す方にお役に立ちそうなことを書きますね。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

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2008年8月 8日 (金)

守る

さて、これまで「遊び」「散歩」「抱っこ」と「αへの道」を歩むために私なりに効果があると思う方法を書いてきましたが、今回は若干ニュアンスが違って「守る」がテーマです。

これまで書いてきた内容は愛犬に「従うこと」を教える方法だったんですが、今回は、「親」として愛犬に「何があっても私がいるから安心しなさいってこと」を教える方法です。

例えばお散歩途中、前からよそのワンコが来たとします。

この場合、愛犬の反応は、ざっと考えると次の4通りかな?と思います。

①ご挨拶も普通に出来るし全く問題ない

②怯えてしまい、近づかれる事を嫌がる

③威嚇したり、攻撃的になったりする

④無関心

さらに、これに先方の仔の反応によって、愛犬の反応が変わるって場合も考えられますよね。

まあ、実際には色々な「望ましくないこと」が起きてしまうこともあるようです。

少し具体的に書きますね。

②の怯えている仔の場合、「近づかないで!」という意味での「警告」=「吠える」場合もありますよね。

尾を股間に挟むようにしていたり、後ずさりしながら吠えたりしますね。

「恐怖」を身体全体で表していると思います。

それでも先方の仔が「警告」を無視して近づいて来たときには、最悪「噛む」なんて仔もいるようです。

こんな場合には「恐怖心」を取り除いてあげることが必要ですね。

一つの方法としては、飼い主さん自身が「先方の仔」に触れてあげる、そして恐れる必要なんてないこと、問題のないことをきちんと愛犬に伝えてあげることで必要以上に怯えたりすることは無くなると思います。

③の前から来る仔に対して、リードを引いた状態で吠えたり、突っ込んで行くような素振りを見せる仔については、様々な原因が考えられますね。

つい「うちの仔は気が強くて攻撃的になる」って考え易いんですが、この場合、必ずしもそんなことはないんですね。

実際「気の強い仔」は普通、前から来る仔にワンワン吠えたりはしないものなんですよ。

平然と歩いていて、余裕を持って匂い嗅ぎをさせることも出来ますし、先方の仔の反応が気に入らないときに低い声で「唸る」程度だと思いますね。

ただし、この場合、先方の仔の反応によっては「闘争」が始まる恐れもあるので十分な注意が必要ですよ。

こう書くと、単純に「臆病なだけなんだ」と思われるかも知れませんが、そうとばかりは言えなくて、そんな状況で仮に飼い主さんが持っていたリードが外れたとしましょう。

先方の仔に一直線!なんてこともありますからね。

判断は非常に難しいと思いますね。

先方の仔によって愛犬の反応も変わるって場合もあるでしょうし、一概には決め付けられないですよね。

実際、私達のランでリハビリをしている仔達でも様々です。

でも、最初に伺うご相談の内容は皆さん同じなんですね。

「犬を見かけると興奮して吠える」「上手くすれ違いが出来ない」等々ですね。

まあ、毎回、毎回、こんな仔達の相手をする訳ですが、傾向として一番多いのが「単なる経験不足」「好奇心からの行動」ですね。

ですから、こんな仔の場合には、私達管理人が少しだけ相手をしてから自由にしてあげれば何の問題もなくなります。

私達の存在を示すことで「恐怖」からは開放されますし(これについては、またいつか書きますね)、自由にされることで好奇心を満たすことも経験を積むことも出来ますから。

ただし、前提として「受け入れる側の仔達が落ち着いていること」が必要になりますけどね。

まあ、中には、リードを放した瞬間に他の仔に一直線って仔もいますが、受け入れる仔達が落ち着いて対処するので、「大喧嘩」にはならないですね。

②と③の場合について少し具体的に書きましたが、「怯えているのか」「攻撃的なのか」の判断は結構難しかったりしますよね。

でも、どちらの場合にも間違いなく共通して言えることがあります。

それは「飼い主さんと愛犬との関係に問題がある」ってことなんですね。

これを解決する方法として訓練士さんは「服従訓練」が必要だと言われるようですし、トレーナーさんは「群れのリーダー」になりましょうと表現されるようです。

まあ、言い方は様々なんですが、要するに「飼い主さんに従うこと」を教える必要があるってことなんですね。

ただ、私はこれだけを実践しても不十分だと思うんですよ。

意外と皆さんが忘れがちなのが「守る」という姿勢をはっきりと愛犬に伝えることだと思いますね。

愛犬からすれば、自分を守ってもくれないと感じた飼い主さんに「服従」もしたくないでしょうし、「リーダー」とも認めたくないですよね。

自分に従っていれば安心ということを訓練やトレーニングを通じて教えることが出来る、という考え方もあるかも知れませんが、実際に私達がご相談を受けている方の多くが「訓練」「トレーニング」「しつけ教室」の経験者です。

敢えて書かせてもうらうとそんな場合、必ずといって良いほど「飼い主さんの指示に従う」⇒「誉めてもらえる」「良いことがある」って教えるんですよね。

でも、私が以前書いたように「外出時の飼い主は、かなりのご都合主義者で理不尽な存在」になっていると思いませんか?

全て「飼い主さんの都合」で決められたりしますよね。

それでもきちんと「我慢」してくれるのが「犬」という生き物ですよね。

だったら、私達飼い主は「全力で愛犬を守る必要がある」というより、義務がありますよね。

前方から興奮しきった犬が向かってきたとしましょう、そんな時には以前にも書きましたが、必ず愛犬の前に立って防御する姿勢をみせましょう!

このやり方では、愛犬の興奮を抑えることは出来ませんが(多分、愛犬が先方の仔に反応して吠えている場合、さらに激しく吠えると思います)、愛犬に私はお前の味方だよと伝えることは出来ます。

先方の仔がお知り合いの愛犬だったなら、事前に相手の方に了解を得たうえで、自分が愛犬の前にたって、先方の仔を叱ることが効果的です。

「うちの仔に何するの!」って感じですね。

これはその後の愛犬たちの関係を良い方向に導く効果があると思いますよ。

とにかく困った事態に直面したら、常に前に出ることを意識して下さいね。

ドッグカフェでもドッグランでも不慣れな場所に入るときには、必ず自分が安全を確認してから、愛犬を誘導するようにしましょうね。

問題が起きても起きなくても愛犬に「飼い主さんが安全を確保している」ことは伝えられますから。

外で愛犬に「頑張る必要がない」ことを教えてあげることは重要だと思います。

自分がいるから大丈夫!は絶対に伝えないといけないことですよ。

私達の家にいる仔達は決して「ガードドッグ」ではありません。

だから、愛犬に自分を守らせてはいけませんよね。

そんなことを意識しなくても、いざ、というときには自分と一緒に頑張ってくれるのが「愛犬」ですよ。

私はそう信じています。

さて、今回も長くなって来ました。

今回はこれで終わりますね。

次回もまた、何かお役に立てる内容を書きたいと思います。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

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私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月 7日 (木)

抱っこ

前回の私の提言は実行していただけましたか?

何かをきっかけにたまにはご家族で愛犬への接し方を考え直してみるのもいいと思って書いたんですが、どうだったでしょうか?

実際、私達飼い主は日常的にかなりいい加減なルールで暮らしていると思うんですよ。

そのことを敢えて愛犬に教えてはいないものの、優れた観察力をもって日々学習している愛犬には「バレバレ」だと思うのですよね。

だから、そんないい加減な私達に何としても合わせてもらう必要があるとは、思いませんか?

私達の「理不尽な振る舞い」に付き合ってもらうしかないですよね。

以前にも書きましたが私が子供の頃に母に何かをねだると「よそはよそ!うちはうち!」と一蹴されたものです。

でも、そんな母が「○○ちゃんは勉強も出来るし、お母さんの言うこともよく聞いて本当に良い子だね」なんて平気で言ってました。

そんな時に私も母に言ってやりたくなりましたよ「よそはよそ!」ってね。

でも、実際には「親」と「子」だから黙って聞いているしかなかったですね。

「親子」ってそんなもんではなかったですか?

そして「父」は毎晩仕事で遅く帰ってくるし、ほとんど会話もなかったりしました。

決して完璧な「父親」ではありませんでしたが、それでも私は父の存在感や一緒にいる安心感というのは間違いなく感じていましたね。

まあ、こんなことを踏まえて、前回は「良い飼い主になろう」と頑張りすぎて、方向性が見えなくなっている方へのメッセージとして「理不尽な飼い主」と題して書かせてもらいました。

さて、今回は「αへの道」への実際のテクニック編です。

「抱っこ」です。

「え~、抱っこが?」と思われる方もいるかも知れませんが、「抱っこ」はかなり有効な方法なんですよね。

既にご存知の方も多いとは思いますが、今回はその「抱っこ」ですよ。

まあ、実際にどうするのかと言うと

ワンコの背中と自分のお腹を密着させて、片方の手の親指と人差し指を広げてワンコのアゴの下に添えます。反対の手はワンコのお腹に当てます。

これで完成です。

まあ、「縦」に抱っこするんですね。

この姿勢を続けることで、愛犬に自分に従うことを教えられるんですね。

細かな理屈は書きませんが、実際にこれは効果的ですよ。

そして愛犬の身体の色々なところを触りましょう。

大人しく触らせることが出来るようにしましょう。

そして、解放するときにも「ワンコの意思」ではなくて、飼い主の意思で「十分に大人しくしている」って感じたら放してあげるといいですね。

「遊ぶ」時間もない、「散歩」することも出来ないなんて方にお勧めです。

でも、少しは遊んだり、きちんとした散歩もしましょうね。

特にきちんとした散歩はすごく関係作りに役立ちますからね。

まあ、どんな本にも「愛犬との力関係では常に上位に立たなければいけない」と書いてあって、私自身、表現の方法はともかくニュアンスとしてはその通りだと思います。

私は、「飼い主は親であって仔の成長を最後まで見届ける責任がある」と思っています。

当然に「愛犬を守る」ことや「人と暮らすルールを教える」ことも私達の義務ですね。

ただ、どうしても飼い主の勝手な思い込みになりがちな事もあるんですよね。

「こんなに可愛がっているのに何故?」とか「こんなに心配しているのに何故?」なんてね。

つい「何故?」を繰り返してしまうんですよね。

でも、ご自分の思春期の頃を思い出してみて下さい。

そんな親の気持ちがうっとうしかったりしませんでしたか?

もっと、分かりやすく伝えて欲しかったりしませんでしたか?

親の本音を探ったりしませんでしたか?

子供に理解を求めるよりも、きちんと道筋を示して欲しいとか思いませんでしたか?

愛犬にそんな思いをさせたくはないですよね。

だから、分かりやすく伝えるのが一番なんですよ。

飼い主のわがままや理不尽さがあっても構わないんですよね。

パピーにはともかく成犬ならば、その辺のところも理解してもらわないといけないですよね。

「聖人君子」ではない以上、自分の事を正しく伝えるには不可欠だと思いますよ。

少し「擬人化」し過ぎと言われるかも知れませんが、私はそんな風に思っています。

以前、我が家でこんな出来事がありました。(前にも書きましたけど・・)

ゴル男のことを全く叱らないカミさんがたった一度だけ真剣に叱ったことがあります。

それはゴル男が「ホットカーペットのコード」を噛んだときでした。

台所でタバコを吸っていた私が飛び上がるほどの勢いで叱り付けましたね。

でも、たった一回叱られただけで、ゴル男は「コードを噛むことだけは」しなくなりましたね。

当時、私にはしょっちゅう叱られてばかりいたので、効果は皆無に近かったですけれどもカミさんの場合は別物でしたよ。

きちんと自分の気持ちをゴル男に伝えることが出来たんですよね。

してはいけないことを正しく教えることが出来たんですよ。

それもたった一度で!

私は何回も「叱ること」は難しいと書いてきましたが、その意味は、中途半端に叱っても意味がない、というよりも下手をすると「無視」することを覚えてしまう恐れがあるからなんですね。

叱り方にも色々あるとは思いますが、効果がなければ意味がないですよね。

そして、もう一つ難しいことがあって、それは「タイミング」です。

タイミングがずれていては、「何を叱られた」のかワンコが理解出来ない恐れがあるからです。

でも、一つだけタイミングを間違った叱り方にも良いことがあります。

「叱られた」ことを伝えることは出来ます。

きちんと叱れば「飼い主さんの事を従うべき人」と認識させることは出来ると思いますよ。

だから、こんな役回りは「父」がすべきでしょうね。

普段、あまり役に立つことも無いんですから、こんな事位は頑張りましょうね。

まあ、愛犬にすれば「何を叱られたのか分からない」なんてことも在るかもしれませんが、たまには「理不尽な飼い主」も有りだと思いますよ。

でも、叱るときには中途半端に叱るのではなく、しっかりと叱りましょうね。

意外と難しいですよ。

あっ、それから冷静に叱っても愛犬には分かりにくいですよ。

感情を爆発させた方が良いと思います。

まあ、これは「私流」ですけれどもね。

皆さんはどうでしょうか?

さて、今回はこれで終わります。

次回もまた、「αへの道」シリーズで何かお役に立ちそうなことを書きますね。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

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2008年8月 6日 (水)

理不尽な飼い主

さて、今回は、前回予告した通り、「理不尽な飼い主」について書きますね。ということで今回は「αへの道」シリーズとはあまり直接的には関係のない、でも、将来的には非常に重要なお話を書きますね。

勘違いしないで欲しいのは、ある程度愛犬との関係が出来ている方限定のお話なので、「子育て中」の方には、あまり参考にはなりませんからね。

少なくとも「家では全く問題がない」って方に聞いて欲しいお話です。

まだ仔犬とか、成犬だけど家でも問題がある、なんて場合でも大丈夫かとは思いますが、結果的に犬が混乱せる可能性もあるので、積極的にお勧めはしません。

まあ、実際にどんなことかを書きますね。

これはつい先日、我が家で起きた出来事です。

ゴル男と私達夫婦でいつものように夜の散歩に行ったんですが、帰宅して直ぐにゴル男がソファーの上で寝てしまったんですね。

それを見たカミさんが「寝ちゃうのかい?ゴル男」と言いながら、自分の顔をゴル男にくっ付け、指でゴル男の目を開き、それでもゴル男が反応しないと「じゃあ、歯を見せなさい」と言って、唇をめくり上げて、犬歯をみたりしたんですね。

私が、「そういえば、歯、きれいだった?」と言いながらゴル男の歯を見ようとした瞬間、カミさんが「止めてよ、寝てるんだから、可愛そうでしょ!」って・・・・

「お前、自分は良いけど、俺は駄目なの?」って尋ねたら「うん」の一言で終了!

理不尽な話でしょ!って私が書きたいのはそんな内容じゃなかったです。

これは「理不尽なカミさん」のお話でした。

本当にひどい話ですよね。でも、今回のテーマはこんな話ではありません。

もっと、一般的なお話です

実際、犬との生活の中では「我慢をさせなければいけない」って場合が結構あると思うんですよね。

家庭内では、それぞれのご家庭のルールに従って「我慢」をさせていることも多いと思います。

まあ、これは最初にお断りしたように敢えて書きません。

そんな「我慢」を「外」でさせることもありますよね。

それも「ルールに従って」ではなくて、その場の「雰囲気で」なんてことも多いと思うんですよね。

例えば、ドッグカフェとかでは、周囲に知らないワンコ達が居て、突然、吠えられたりすることもあって、結構、緊張するケースもあると思うんですよ。

そんな場所で私達飼い主が愛犬に望むことは「何をされても、じっと大人しく我慢する」ってことだと思うんですよね。

先方の仔の行動に全く関係なく、また、犬社会のルールにも全く関係なく、ことの良し悪しも全く関係なく「ひたすら我慢させる」ってこともかなりあると思いますね。

そんな場合、飼い主さんの側で大人しくしているのは、ワンコにとって果たして「嬉しいこと」なのか「我慢すること」なのかってことです。

実際には、それぞれの仔の性格にもよると思うんですが、自信に満ちた仔の場合、何事にも恐れたり、興奮したりすることもなく落ち着いていられると思うんですが、そうでない仔にとっては、かなりつらいことかも知れませんね。

あと、よく本に書いてあることを参考にするなら「飼い主さん大好き。何があっても飼い主さんと一緒なら大丈夫!だって、安心だから」ってこともあるし、「飼い主さんが静かにしなさいって言うんだから、静かにしていなくっちゃ」ってパターンもあると思うんですよね。

まあ、どちらでも良いんですが、結果的には「我慢」をしなければいけない場所に飼い主の都合で一緒に行くってことに変わりはないんですよね。

それも普段は経験したことのない未知のルールが存在する場所に!

それをどのように考えるのか?

何を愛犬に望むのかは各家庭のルールで構わないと思うんですが、間違いなく言えることは、「家庭のルール」は私達飼い主の都合で決めるってことですね。

つまり、何事も「飼い主の都合」で決められるんです。当然に理不尽な事もありますよね。

そのかわり、何事も「飼い主の責任」なんですよね。

ここをじっくりと考えて欲しいんです。

今回は、こんな提言をして終わります。

たまには愛犬との関係を見直してみることも必要だと思いますよ。

さて、今回は、若干短めですがこれで終わります。

次回は「抱っこ」と題して書きますね。まあ、「抱っこ」の勧めですね。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

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私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月 5日 (火)

散歩

さて、今回は「αへの道」への具体的な方法第二弾として「散歩」について書きたいと思います。

ゴル男が6ヶ月になった頃から2歳を過ぎる位まで、私とゴル男はほぼ毎晩、馴染みのドッグカフェに通っていました。

これは、これまでに書いてきた通りです。

もちろん、日中は仕事ですから、結果的に毎日規則的な散歩はしていませんでした。

散歩の担当は、もっぱらカミさんでしたね。

私は、「カフェのミニランで遊ばせているからいいよ」って感じで、あまりゴル男の散歩はしていなかったんです。

それが、たまたまカミさんとゴル男と一緒に夜の散歩に出掛けたら意外と楽しかったんで、それからは、私達夫婦とゴル男で夜の散歩に行くようになったんです。

時間は大体夜の9時から30分、40分程度で、今でも毎晩続けています。

きっかけは些細なことだったんですが、これは私とゴル男との関係作りにとって、かなり有意義なことだったと思います。

もちろん、今もですけどね。

恐らく皆さんも毎日の散歩は欠かさないと思いますし、何故、散歩がそんなに「有意義なのか」って思われますよね。

でも、本当に散歩は有意義だと思いますよ。

ただし、「仕方」が重要だと思います。

では、実際に「私の散歩」がどんな散歩なのかを書きますね。

私は「元犬嫌い」だったので、リードを張った状態で犬が歩いているのがすごく嫌いだったんですね。

だから、不定期な散歩をしている時から、ゴル男を連れて歩くときには、常にリードを短く持って、とにかく私の側から離れないように工夫して歩くようにしていました。

この方法は結果的に「本」に書いてある方法と同じだったですね。

もちろん、他の犬が苦手な私は必死でしたし、アイコンタクトなんてしないし「いくぞ!」って感じで私がゴル男をリードして私が歩きたいように歩いていました。

匂い嗅ぎもさせませんでしたし、マーキングもさせませんでした。

まあ、これは今では別の意味で許すようにはなっていますけどね。

とにかく、ゴル男は私の歩くペースにひたすら着いて来るしかなかったですね。

昔、東京オリンピックで当時「東洋の魔女」と言われていた女子バレボールチームを金メダルに導いた大松監督の「俺について来い」方式でしたね。(古いですね)

まあ、私の場合には「必死」だっただけなんですけどね。

結果的にこれが「効果的」だったと思います。

とにかく「リード」を着けて、外に出たら「こいつには従うしかないか」みたいなことは伝えることが出来たと思います。

そして「夜の散歩」も始めた頃は、そんな感じが続いていました。

でもカミさんが一緒だし、以前のように「行進」みたいな散歩ではなくて、しっかり歩かせたり、匂い嗅ぎをさせたりといったバリエーションのある散歩になりましたね。

そんな夜の散歩を続けているうちに、徐々にゴル男の方から「私を意識する」ようになってきたんですね。

不思議なもので、とにかく時々私を見上げながら歩くようになりました。

ゴル男がそんな感じになってきたので、私も声を掛けたり、アイコンタクトをとったりして、益々散歩が楽しくなって来ましたね。

私が「ゴル男役」になったり、カミさんが「ゴル男役」になったりして、意味不明の「会話」も楽しんだりしていますよ。

今では、リードを着けた状態のゴル男は完璧に私の言うことを聞くようになっています。(と私は思っています)

まあ、ドッグランでリードを外すと今でも自分勝手に遊んでいますけど、それでも私がきちんと呼べば必ず私の元にやって来ますよ。

どんなに興奮していても私の一声で冷静になりますし、必ず私の元に戻ってきます。

もちろん、家の中では、何の問題もありませんよ。

壊して良いものといけない物もきちんと理解しています

もしも、愛犬が自分の言うことを聞かない、呼んでも来ない、なんてことで悩んでいる方がいらしたら、是非、一緒に散歩に出てみて下さい。

その時には、必ず自分で決めたペースで歩いて下さいね。

決して愛犬のペースに合わせようとか、愛犬がどんな気持ちだろうとか考えずにひたすら決めたペースで歩くことをお勧めします。

飼い主さんに「従うこと」と「一緒にいる安心感」を伝えてあげて下さい。

必ず成果が出ますから、たとえ短い時間でも毎日続けてみて下さい。

今回の「αへの道」と題したシリーズで、何をお伝えしたいかというと、とにかく「犬は自分を守ってくれる存在を求めている」ってことを常に意識して欲しいってことなんですね。

実際、本当に仕事をしている牧畜番犬とかは、飼い主の存在なしに「番犬」として立派に使命を果たしていると思いますが、たとえ同じ犬種であっても「家庭犬」として育てられた仔にそんなことを求めてはいけないですよね。

「自己判断」で「不審者」に対応してしまったら、大変ですよね。

そんな傾向は何としても「潰さなければ」普通の家庭での生活なんて出来なくなってしまいます。

自分を守ってくれる人の存在、従うべき人の存在を教えてあげないといけないですよね。

だから、先ずは飼い主さんに従って、ルールを守ることによって穏やかな生活が出来ることを理解させて上げなければいけないですよね。

「言葉」も教えて上げなければいけません。

自分の「気持ち」をきちんと愛犬に伝えてあげなければいけません。

決して自己判断で常に正解を出す「名犬ラッシー」が簡単に育てられるなんて考えてはいけないですよね。

一歩ずつ愛犬との「関係作り」をすることによって、少しずつ「会話」も楽しめるようになるでしょうし、それぞれのご家庭だけの「名犬」が出来るんだと思います。

私はそう思っていますよ。

決して何もしなくても「名犬」になるなんて思い込んでしまって、結果、愛犬を「迷犬」にしないようにしなければいけませんよね。

皆さんのご家庭ではどうでしょうか?

さて、今回はこれで終わります。

次回は、こんな基本的な関係作りが出来てからのお話です。

題して「理不尽な飼い主」です。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

Wan’s LifeのHPhttp://wans-life.org/の相談室からお願いします。

私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月 4日 (月)

夜のドッグラン Ⅱ

土曜日に「夜のドッグランパートⅡ」をやって来ました。

実は、このブログを読んでいただいた方からのご相談がきっかけだったんですが、急遽開催したので、管理犬と卒業生のトレジャー家で対応しました。

新しいゲストの仔は8ヶ月になったばかりの大型犬で、まだまだ成長途中なんですが、既に体重は40キロを超えていて、私自身、久々に会った「大きなこども」でしたね。

ご相談の内容は「経験が足りず、他の仔に会うと大興奮してしまう」って感じでした。

本来ならば、夏は休業中なので秋までお待ちいただくしかないんですが、急遽開催することにした理由はその仔の「月齢」が気になったからなんですよ。

未去勢と伺っていたので、なんとしても「男っけ」が出る前に一度会っておきたかったんですね。

それによってアドバイスの内容も変わって来ますし、対応の仕方も変わりますからね。

初めて会った印象は、ご家族の愛情をたくさん受けて育っているので「とっても素直な仔」。

そして、確かに身体はかなり大きいけれども「まだまだ子供」って感じでした。

普通、「男っけ」が出て来ると、初めての場所で他の仔達の臭いがたくさん付いていると、しきりに地面の臭いを嗅いだり、マーキングをしたりするんですが、全く臭い嗅ぎもマーキングもしなかったですね。

あと、もう一つ、経験がないんだなあ~って感じさせることがあって、それは「犬同士のご挨拶」をしないってことでした。

実際に飼い主さんの悩みを裏付ける行動が見られましたね。

でも、まだまだ幼いので全てはこれからって感じで、飼い主さんの頑張りにかかっていると思いました。

それに私達も応援していきたいと思ってますから、まあ、大丈夫でしょう!

ここのところ、ご相談メールをいただくことが多いのですが、ドッグランをやっていないので、なかなか直接お会いすることが出来なくて、私自身、残念でならないんですが、今回は、少しだけ、そんなご相談について書きますね。

私のブログもそうですし、私達の考え方も常に「飼い主さんの応援団」なので、結構ご相談を受けることが多いのですが、皆さん、共通の悩みは、やっぱり「犬が苦手」ってことですね。

それと共通しているのが、「ところでパパさんは?」って感じが多いですね。

これは今書いているシリーズ「αへの道」のきっかけにもなったことで「力関係」の回でも書いたことなんですが、本当に「パパさんの姿」が見えないことが多いですね。

そして皆さんのご相談に必ず書いてあることは、愛犬に適切な環境を作って上げられなかったことに対する「自己批判」ですね。

全く、そんなことを思う必要はないのに必ずといって良いほど書いてありますね。

ご自分自身が愛犬が何かしてしまったらどうしようとか、一度問題を起こしてしまったことが忘れられずに臆病になってしまっているからいけないんだとかいった内容ですね。

でも、そんな時に「自分が一緒なら何が起きても大丈夫!」って存在の人が居れば大丈夫なんですよね。

まあ、普通に考えれば「父ちゃん」ですよね。

私自身、ゴル男を迎えたときには、他の仔に一切触れることが出来なかったし、可愛がっていれば何とかなるだろう位に考えていたので、「父ちゃん」の気持ちも分かるんですが、やっぱり「俺が一家を守る」ってスタンスは欲しいですよね。

このことはこれからも「αへの道」で書きますが、とにかく「父ちゃん」の頑張りは問題行動解消の鍵を握っていると思いますね。

もしも、これが無理なら「母ちゃん」が一人二役をするしかないんですけどね・・・

あと、ご相談をいただいた皆さん全てに共通していることが、「愛情に溢れている」ってことですね。

これは本当に間違いないです!

でも、これもまた共通していることなんですが、ご自分の本当の姿を愛犬に伝えていないって感じかな?

これまでに何回も書きましたが、「人」はいい加減な生き物で決して「機械的」に愛犬に接することは出来ないですよね。

だから、行動だって気まぐれだし、愛犬からすればかなり謎めいたところがあるとは思いませんか?

これを愛犬に伝えずに「完璧な飼い主」を目指すことばかり考えても駄目なんですよ。

「いい加減である自分に愛犬が合わせる」ってことを目標にすべきなんですよね。

人にも犬にも「完璧」なんて必要ないですよ。

無駄な努力をするよりも、素直に楽しむことを考えるべきだと思いますよ。

そんなことを思う今日この頃です。

今回はこれで終わりますね。

次回はシリーズに戻って書きたいと思います。

ということで、次回もまた、乞う、ご期待!

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私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月 2日 (土)

遊び

さて、今回からは「αへの道」への具体的な方法を書いていきたいと思います。

まあ、正直なところ私には「α」とかの意識は無いんですが、この方が分かり易いかな?と思ってタイトルにしているだけなので「α」という言葉にあまりこだわらないで下さいね。

言葉は「親」でも「リーダー」でも「ボス」でも何でも構いません。

要は「気持ちの持ち方」みたいなものですからね。

だから、「親」と考える場合でも、一人二役も有り得る訳なので、女性であっても「父」の役割を担うことは、大変だとは思いますが、決して不可能なことだとは思いませんよ。

また、脱線しそうなので、話題を戻しますね。

私の場合、タイトルと中身が違っていたり、前書きばかりが長くて本文が短くなってしまい、結局、次回へ続く・・・なんてケースが多くて反省しているんですが、今回はそんな反省を踏まえ、タイトルに「答え」を書きました。

「遊び」

何の「答え」かというと、「父」としての「力強さ」、「雰囲気」を分かり易く「愛犬」に伝えるための方法の「答え」です。

まあ、答えの中の一つですね。

これまで散々書いて来たように私の場合、ゴル男との格闘の日々の中で、何とか家の中では私の言うことを聞くようにはなっていましたが、外では全く駄目。

どうしたら外でも家と同じように私の言うことを聞かせられるかを一生懸命考えていたので、節操も無く随分と色々な方法を試しましたね。

とにかく「私が呼んだら、私の元に来る」ということをゴル男に覚えさせたかったんです。

これが出来ないと、たとえドッグランに連れて行っても「放すこと」は出来ても「帰ること」が出来なくなる恐れがありますもんね。

ゴル男が「俺、帰る」と決めるまで帰れない飼い主なんて・・・

まあ、実際、ドッグカフェのミニランでは毎度のことでしたね。

だから、「呼び戻し」は一生懸命やりましたし、何冊も本を読みましたね。

専門家のアドバイスも受けました。

私が試した方法は

○ゴル男が私の方に向かってきたときに「おいで」と声を掛けて戻ってきたら「誉める」

○おやつを持って、ゴル男に「おいで」と声を掛けて戻ってきたら、おやつをあげて「誉める」

○ロングリードを着けてゴル男に「おいで」と声を掛け、軽くリードを引き、戻ってきたら「誉める」

これを全てやりましたね。

でも、効果は薄くて、私が呼べば確実に戻って来るなんてことは無かったですね。

どうしてもゴル男の気分次第になっていました。

こんな状態を専門家に言わせれば「服従訓練が出来ていないから」となって、実際、その通りだとは思います。

でも、当時の私にすれば、何とかゴル男が「自発的」に私の元に戻って来るようにしたかったし、「服従」という言葉の響きに抵抗がありました。

そして「もっとゴル男に好かれなければいけない!もっと優しく接することにしよう」と考えたんです。

でも、これは「全く効果なし」というより、「逆効果」でしたね。

ゴル男に分かり易く伝えるためには、優しく包み込むような愛情は「母」であるカミさんに任せるべきで、私は「父」として「力強さ」を示してあげて「頼れる」存在を目指した方が、ゴル男には分かり易かったと思いますね。

この間違いに気付いたきっかけは、ある時ゴル男があまりに私の言うことを無視ばかりしていたので、私が年甲斐も無く「キレた」ことだったんです。

馴染みのカフェのミニランでの出来事です。

既に私も50歳を過ぎていて、怒りに我を忘れるなんてことは全くなかったんですが、その時は本当に我を忘れて感情的に怒ったんですね。

「叱る」などという教育的なレベルではなくて、単純に自分の「怒り」を抑えることが出来なかっただけでしたね。

「お前が何をどう考えても構わないけど、とにかく俺の言うことを聞け!」って感じで、人生初めてと言って良いくらいに「キレ」ました。

当然に暴力も振るいました。

私のあまりの剣幕にゴル男は隅っこに隠れるようにして固まりましたね。

そんなゴル男の情けない姿をみて、冷静さを取り戻した私はすごく後悔しました。

「あ~、やっちまったよ」と思い、ゴル男に背を向けて歩き始めたんです。

そうしたら、何故かゴル男が私の後ろから付いて来たんですね。

私を見ていました。

私がゴル男に「もう、怒ってないよ。おいで」と声を掛けてところ、素直に私の元に来たんですね。

私はしゃがみこんで、ゴル男の顔をぐしゃぐしゃにするように触り、それまでめったにやったことのないプロレスごっこを始めました。

結構な時間、ゴル男と一緒に遊びましたね。

それまで私は、ミニランでゴル男と遊ぶときには、必ず「おもちゃ」を使っていました。

でも、おもちゃなんかで遊ぶよりもゴル男は「私と遊ぶ」ことが好きだったんですね。

ゴル男にとっての「おもちゃ」は「壊すもの」であって、その際には「私は必要ない」存在なんですね。

奴が私に望んでいるのは、「身体を使った遊び」であって「物を使った遊び」ではないんです。

これは今でも同じです。

私がゴル男に「力」を見せ付けたことによって、ゴル男が自ら私の言うことを聞いた、ってことは、それまでの私の考えを一変させましたね。

考えてみれば、ゴル男に限らず、犬にとっての私達は肉体的にも精神的にも「巨大な存在」であって、「力強い雰囲気」を示してあげれば、「父ちゃんに付いて行くよ」って感じは簡単に作れるんですよね。

だから「良い父になろう」なんて考えは間違いで、気まぐれでわがままな自分のままで接してあげれば良いんだって気付きましたね。

とにかく「自分」を出して、素直な気持ちで接することだと思います。

ただし、「私がいるから、お前は安心していいんだよ」ってことを伝えることを忘れてはいけないですけどね。

それからの私は常にマイペースでゴル男に接するようにしましたね。

決して誉められた「父」ではありませんが、ゴル男も決して「良い仔」ではないので、お互い様ってとこで、結構、楽しくやっていますよ。

今のゴル男と私の関係では、私自身が「まあ、いっか」と思う程度のことでは叱りませんし、私がして欲しくないと思うことをゴル男がしたら厳しく叱ります。

といっても、今では、ほとんど「叱ること」はありませんけどね。

この場合のルールは「しつけ本」に書いてあること内容とは全く無関係で私オリジナルのルールです。

私的な解釈では、「私のことをゴル男が理解している。だから、私が望まないことはしない」って思うようにしています。

この考え方は、すごく「飼い主にとって都合が良い」ですよ。

是非、お試しください。でも、全ての責任は自分にあるって覚悟は必要ですけどね。

まあ、一心同体位の感覚かな?

最後に身体を使って愛犬と遊ぶ際に注意した方が良いなあって思うことを書きますね。

もちろん、私の意見ですよ。

身体を使って遊ぶと当然に「爪で引っかかれたり」「歯が当たったり」して、こちらが痛い思いをすることがあります。

でも、決してひるまないで下さいね。

遊びを通じて愛犬に「奇妙な自信」を付けさせないためには、絶対にひるんではいけないですよ。

痛い思いさせたことを叱った方が良いと思います。

次に「遊びのきっかけ」は人から作ると良いですね。

愛犬からの要求を遊びのきっかけにするのは良くないですよ。

ここでも、飼い主のマイペースを貫きましょう!

そうすると自然に愛犬の「遊びモード」のスイッチの「オン」「オフ」を飼い主さんが決められるようになりますからね。

これが更に進むと「興奮の度合い」をもコントロール出来るようになりますよ。

一緒に遊ぶことで愛犬との「絆」が深まるなんて、素晴らしいでしょ?

本当に「愛犬と一緒に遊ぶこと」のメリットは大きいと思いますよ。

第一、楽しいですからね。

それとゴル男との関係を改善するために役立ったことがもう一つあります。

それは「散歩」です。

これは次回書きますね。

ということで、今回はここまでです。

これからも頑張りますので、次回もまた乞う、ご期待!

さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば

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私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

2008年8月 1日 (金)

力関係?

さて、前回は「αへの道」シリーズの序章として「主人か親か」と題して書きました。

そしてこれから先の内容は、「親」として愛犬と暮らしている方へのメッセージだということを書きましたね。

ですから、あくまでも私の独断と偏見に満ちた内容になります、まあ、いつものことですけどね。

ということで、今回からは、いよいよ各論です。

初回はズバリ「力関係」です。

こう書くと「力をもって愛犬を制する」みたいな感じがするかも知れませんが、全くそんなことはありませんよ。

むしろ逆かも知れません。

そのことから書きますね。

前回、犬のご先祖様と言われる「狼」について、群れの中には、「雄のα」と「雌のα」がいて繁殖期の前にはその序列を巡って「闘争」が起きたりする、と書きましたよね。

そして、「α」の座を失った狼はしばしば「最下位」となってしまうこともあると書きました。

ここで少し考えて欲しいのは「α」とは一体どんな狼がなるのか?ってことなんですね。

たまに「αになるのは、『αの仔』である」なんて、まるで人間の王族のように書いてある「本」がありますが、実際、群れの中にいる仔は全て「α」の仔であって、その中で「α」としての「力」と「素質」を持っている中から「α」が決まる、ということが正しいようです。

つまり、決して「力」だけでは決まらないんですね。

「力」のほかに、もって生まれた雰囲気のようなものが大きな要素になるようです。

ですから、「α」の座を追われ権力を失った者が自信を失ったりすると一気に序列最下位まで転落してしまうなんてことが起きるようですね。

他の狼達からの「いじめ」の対象になったりすることもあるようです。

そして、狼の場合、序列を巡る争いが起きるということは、「服従的な立場」を安住の地にするなんてこともないようですよね。

これを踏まえて、犬の場合はどうかを考えてみますね。

「犬の行動」を解説してある本には、よくこんなことが書いてあります。

「犬」は「狼」の子孫なので、その行動の基本は「狼」の習性から来ています。

「狼」は群れをつくり、役割り分担をし、共同して狩をします。

「狼」には序列があって、下位の狼は上位の狼やαに服従し、その指示に従います。

犬にとっての群れは「家族」です、だから、飼い主は犬の「α」にならなければいけません。

まあ、こんなことがよく書いてありますよね。

でも、実際はどうでしょうか?

色々な「本」を調べてみると、「そうとも言えない」ことが結構書いてあったりするんですよね。

例えば、犬は群れをつくって狩をしたりはしないようですし、「α」の存在も狼のようにはっきりしたものではないようです。

総じて書くと「犬には明らかに狼の特性を受け継いでいる部分はあるけれど、どれも厳密なものではなくて、いい加減な面が多い」といったことが多いようです。

例えば、狩猟本能の「噛む」「殺す」といった部分が「狼」の場合には「捕食」となるわけですが、「犬」になると単に「くわえる」になったり、獲物を噛み殺しても食べることなく、噛み殺すことだけを繰り返すようになっていたりしていて、それが「レトリバー」になったり「テリア」といった「犬種」になったりしているんですね。

こんなことを書いてくると実際に犬と暮らすうえで、「狼」の習性ばかりを参考にしていても問題を解決出来ないこともあると思うんですよね。

そして、何よりも違うのは、「犬は人との共生の道を選んだ生き物である」ってことなんですね。

これを忘れてはいけないですよね。

だから、犬は元々「人の庇護のもとで生活が成り立っている」と考えて差し支えないと思うんですよ。

そして、ほとんどの場合、犬が私達の元に来るまでに「人との社会化」は済んでいると思います。

ですから、そこから先は各家庭で「家のルール」を教えること、また、「誰」が生涯のパートナーであるのかを教えて上げれば良いだけなんですよね。

私は、この関係を「親と子」と例えているんですね。

ところが、残念なことにこの関係を愛犬にきちんと伝えて上げられないケースもあるようです。

私が思う「親子関係」からすれば、当然にママさんは、犬にとっての「母」だと思います。

だから、ベースは「優しさ」で、たまに注意する程度で十分だと思うんですよね。

多分、犬が求めることも「母性」だと思うんですよ。

そうなると、ママさん達は自分の役割をごく自然に果たしていると言えますよね。

本当に「自然」に!

でも、ここで問題となるのが、「パパさんの存在」なんですよ。

ママさんが「母性」ならば、パパさんにはやはり「力強さ」「父性」を求めたいですよね。

ただし、「腕力」という意味では無くて「雰囲気」としてですよ。

「姿勢」と考えてもらっても良いと思います。

「自分が居れば何が起きても大丈夫だよ。だから、お前は安心して私について来なさい」ってことを愛犬に理解させてあげる必要があると思うんですよ。

何故、こんな書き方をするのかというと、実際、これまで私達がご相談を受けた方達の場合、パパさんに「何か」があることが多いんですよね。

犬が苦手であったり、愛犬とのコンタクトが極端に少なかったり、無関心であったり・・・

お話を伺っているなかでも、ほぼ完璧にパパさんのお話が出てくることはありませんね。

常にママさんからのご相談です。

私の方から「ご家族の意思」を確認させていただく段階になって初めて「実は我が家の場合、夫が・・・」というケースが多いですね。

まあ、多分、以前の我が家でも同じだったと思います。

私自身、犬はただ可愛がれば何でも言うことを聞くと思っていました。

だから、先ほど書いたように何故、ゴル男が私の声に無関心・無反応なのか不思議でならなかったですね。

でも、少し考えてみれば直ぐに分かることで、「親」(一般的には父親ですね)に守られているから「子」は安心して遊べるんですよね。

暗い夜道でもパパさえ一緒に居てくれれば子供は安心して歩けると思うんですよ。

遊園地とかで走り回って遊んでいるやんちゃな子供でも、親の姿が見えなくなると、とたんに情けないほど不安になって泣いたりしますよね。

あれと同じだと思ってもらえればいいと思います。

夜道を怖がるパパとでは、子供も安心出来ないですよね。

犬が苦手なパパさんとでは・・・

自分のことを少しも見てくれていないパパさんとでは、子供も安心して遊んでるなんて出来ないですよね。

100%迷子になると思いますものね。子供が親から目が離せない!

犬もそうだとは思いませんか?

そんな状態では、決して「犬」から「信頼」なんて得られないでしょうし、犬自身に「自分が頑張るしかない!」なんて思わせたら、一体どうなるでしょうか!

それは、なんとしても避けなければいけないですよね。

では、具体的にどうすれば、犬からの信頼が得られるのか?

自分の力強さを理解させることが出来るのか?を書こうと思いましたが、今回もまた、異常に長くなりそうなので、その方法は次回書きますね。

ということで、今回はここまでです。これからも熱くなって書きたいと思いますので

次回もまた乞う、ご期待!

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私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。

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