主人?親?
今回は、「αへの道」の序章として「主人?親?」と題して書きますね。
念のために書きますが、「α」とは「群れのリーダー」のことで、犬のご先祖様と言われる狼の場合には一つの群れの中に「雄のα」と「雌のα」がいるんですね。
そして「群れのメンバー」は常に「α」の指示に従って行動するんです。
ちなみに片足をあげて小用を足す行動も「α」以外には許されないと言われていますし、「雌のα」も足を上げて用を足したりするそうです。
狼の群れの場合には、α以下の狼にも全て序列があって、繁殖期を迎える前には、しばしば序列をめぐる「闘争」が起きたりするそうです。
そして、当然「α」も交代することがあって、「α」の地位を追われた者は、しばしば最下位の序列に転落することもあるそうですよ。
厳しい社会ですよね。
これも、また、くどいようですが、これから書く「α」とは「愛犬のリーダー」と言う意味で、決して「家庭のリーダー」という意味ではありませんからね。
ちなみに我が家の場合、絶対的な「α」として「カミさん」が君臨していて、我が家に限っては「αの交代」などは絶対に有り得ませんね!
ということで私に残された「αへの道」は「雄のα」の座をゴル男と争うしかなかったんですね。
悲しい話でしょ・・・
さて、私の哀れな身の上話はこれ位にして、いよいよ本題に入りますね。
実際にゴル男が私の言うことを全く聞かない、呼んでも来ないという状態はゴル男が2歳位まで続きました。
前回も書いたとおり、当時のゴル男はとにかくカミさん大好きっ仔で、ゴル男の中での私の存在感はかなり薄いものだったと思います。
まあ、私とすれば、「こんなに可愛がっているのに!少しは俺の言うことも聞けよ!」って感じでしたし、ゴル男が6ヶ月になった頃からは、毎晩一緒にドッグカフェに行っていて、そういった意味では一緒に過ごす時間も結構ありましたから「何故だろう」って気持ちが強かったですね。
結局「昼間は毎日仕事だし、ゴル男に関わってあげられる時間も短いから仕方ないか」なんて奇妙な理屈で自分を納得させようともしていましたね。
でも、これは大間違い!
決してそんなことはないですね。
犬とは、そんなことだけで「人」を判断するほど単純な生き物ではないですよね。
多分、私達が自覚している以上に犬は私達を観察していると思います。
ドッグカフェについても、確かに私にとっては、色々な専門家の方からお話を伺うことが出来ましたから、かなり有意義な時間を過ごすことが出来る場所だったと思います。
でも、ゴル男にすれば、当時、元犬嫌いの私が触れることが出来た犬は「ゴル男」だけ。
問題児のゴル男(当時の私はそう思っていました)を他の仔達と一緒に遊ばせることなんて出来なかったですし、ただ、親父に付き合わされている感じしかしなかったのかも知れませんね。
結果的に私はゴル男に私の都合に合わせて「我慢すること」を教えることは出来たと思いますね。
もちろん、カフェでは、ゴル男にとっても良い経験が出来たことは間違いないとは思いますが、「ゴル男自身の満足度」という意味では、必ずしも十分だったとは言えないと思いますね。
以前から何回も書いているように私はゴル男を私達の家族の一員として考え、一緒に暮らしています。
ですから、ゴル男と私達の関係は「親子」に準ずるものであって、ゴル男にとっての私は「父親」に相当するものだと思っています。
少なくとも「主人」という感覚は私にはありませんね。
まあ、こういった関係を色々な本では「リーダー」とか「α」とか書いているんですね。
まあ、呼び方は何でも構わないんですが、私自身が常にゴル男に信頼され、奴を守ってあげる存在でなければならないという点では同じだと思います。
ですから、私自身がゴル男にとって「そんな存在になれればオッケー」なんです。
そうなれば、私の指示にもきちんと従うようになるでしょうし、ほとんどの問題も無くなるでしょう。
ただ、そこから先、どんな関係を望むのか?ということでは微妙に違ってくるとは思いますけどね。
いずれにしても、こうやって書くと、実に単純で簡単なことのように思われるかも知れませんが、実際にはそう簡単なことではないですよね。
私も含め、結構、多くの方が「苦い経験」をしていると思います。
何故なんでしょうね?
もちろん、私には正確な答えは分かりませんが、自分勝手にこう考えるようにしています。
「犬を家族として暮らす」ということが、問題を難しくしている!と。
でも、私はこうも考えていますよ。
「だから、楽しい!」
犬を単に犬として扱えば、しつけも比較的容易だと思いますし、常に「一線を画すること」で多くの問題もなくなると思います。
常に指示を与えることによって犬の行動を制御していれば、結果的には犬の「主人」になる訳ですから、情に流されることもなくて、対応も容易になると思いますね。
でも、それでは犬を家族として、その行動に一喜一憂しながら変化に富んだ生活なんて期待しにくいですよね。
犬の自由な行動の中に「嬉しい驚き」を求めることはかなり難しくなると思います。
私は毎日の生活の中で、ゴル男の成長に一喜一憂したくて、だから、私は「親」になりたいと思っているんですね。
もちろん、あくまでも感覚的なお話なので、単なる表現の違いだけなのかも知れません。
全ての仔が名犬ラッシーになれるのならば、「主人」でも「親」でも関係ないのかも知れません。
でも、それは現実的にはかなり難しいお話で、何れの関係を望むのかは、やはり選択しなければいけないことなんじゃないかと思うんですよね。
皆さんはどうでしょうか?
ここが大きな分岐点だと思います。
「主人」になりたいのか「親」になりたいのか。
それによって色々なことが違って来ると思います。
実際、多くのご家庭では、犬の行動を考えるときに、ある時には「犬」としての本能や特性を中心に考え、また、ある時には家族として「擬人化」して見てしまう、そんな傾向が強いと思います。
でも、そのバランスを上手くとることが一番難しいんですよね。
何故、こちらの気持ちが分からないんだろう?なんて考えたりしませんか?
ここで「主人」になることを選ぶならば、いわゆる「参考書」はたくさんありますし、そのような本に書いてあるとおりに実行すれば、多分「成功」するとも思いますよ。
悩みも確実に減ると思います。
どうでしょうか?
こう書かれると、「主人」か「親」かで微妙に揺れたりしませんか?
くどいようですが、私はゴル男に「親」としての感覚で接しています。
だから、大変なことも結構経験して来ていますし、多分、これからもゴル男との別れが来るまで続くと思います。
でも、それがゴル男と一緒に暮らしている証でもあると思っているので、何の不安もありません。
むしろ、期待の方が大きいですね。
私の中の勝手なイメージでは「主人」とは「常に犬に指示を与え、犬の行動を制御する。だから、犬が自分勝手な行動を取ることはない」って感じで、それに対して「親」とは、「犬に教育はするものの、犬自身の判断に基づく行動を求める。だから、予期せぬ行動をされて苦労もする」って感じですね。
ですから、私が書くことは「親」路線の方には参考になるかも知れませんが、「主人」路線の方には参考にならないと思います。
常に一緒に楽しむことばかり考えていて、ルールなんて無いに等しいし、「ゆるゆる」、「グズグズ」の毎日ですからね。
私はそんな「親」です。
話を戻しますね。
「親」ということになれば「父」がいて「母」がいることになりますよね。
もちろん、一人二役の場合もあると思いますけど。
ここで「父」=「パパさん」の存在がクローズアップされて来るんですね。
「父」の役割とは何だろう?ってことですね。
実際、これまで私達がご相談を受けた方の場合、パパさんに「何か」があることが多いんですね。
これが前回予告した「パパさんの味方」「αへの道」シリーズを私が書こうと思ったきっかけなんです。
以前の私同様、「問題とうちゃん」が多いように思います。
そこで、今回は、序章として「親」路線について書きました。
この点をご理解いただかないとこれから先につながらないもので、随分と長い前置きになりましたが、次回は、ずばり「力」と題してパパさんの役割について書きたいと思います。
ということで、今回はここまでです。
これからも熱くなって書きたいと思いますので
次回もまた乞う、ご期待!
さて、私へのメッセージ、愛犬に関する悩み事等何かあれば
Wan’s LifeのHPhttp://wans-life.org/の相談室からお願いします。
私のみならず、メンバーみんなで応援しますからね。


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